【堀江宏樹の歴史の窓から】

『ブギウギ』ヒロイン・スズ子の実像は、いわゆる「おもしれー女」? 生粋のボンボンを落とした恋愛スキルとは

2024/03/02 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記』(宝島社)

現在放送中のNHKの朝のテレビ小説『ブギウギ』。昭和の歌手・笠置シヅ子をモデルにしたヒロインを趣里が熱演している。今作について、歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が史実の面から解説する。

目次

『ブギウギ』『わろてんか』史実に近い吉本エイスケ像は?
笠置がハリウッドの恋愛映画で覚えたアプローチ術とは?
『ブギウギ』スズ子と愛助が同居に至る謎とは

『ブギウギ』『わろてんか』史実に近い吉本エイスケ像は?

 実在の昭和の歌手・笠置シヅ子をモデルにしたヒロイン・福来スズ子(趣里さん)が大活躍の「朝ドラ」、『ブギウギ』。村山興業の御曹司・村山愛助(水上恒司さん)とスズ子の悲恋に泣かされた方も多いのでは?

 『ブギウギ』の村山愛助のモデルは、吉本興業のゴッドマザー・吉本せいの次男である吉本エイスケ(正しくは穎右。今回のコラムは、宝島社の笠置の自伝『歌う自画像』で使われたエイスケの表記を採用)です。

 吉本エイスケといえば、2017年度下半期放送の朝ドラ『わろてんか』にも、彼をモデルにしたキャラクターが登場しました。しかし、同作の隼也(しゅんや、成田凌さん)と『ブギウギ』の愛助とではまったく描かれ方が異なっていましたね。

 『わろてんか』の隼也は、アメリカで流行中のコメディショーの来日公演を企画しますが、詐欺にひっかかって大金を失うなど、いまいち頼りない人物として描かれていましたが、『ブギウギ』の愛助は生真面目な大学生だったように思います。チャップリンなど海外の大物スターを来日させるのが夢だと語る愛助でしたが、彼は歌手・福来スズ子の大ファンでもありました。

 比較すると、『わろてんか』の隼也より『ブギウギ』の愛助のほうが、より史実に近い描かれ方のようです。しかし、史実の吉本エイスケは、愛助とは異なり、普段から一流品に囲まれて過ごすことを好む生粋のボンボンで、いかにもぜいたく好きなお坊っちゃまだったようですね。

 史実の二人の出会いは、昭和18年(1943年)6月28日、名古屋・御園座でした。上演されていた『宮本武蔵』を見に行った時、共通の知人を介して、二人は偶然知り合ったそうです。ちなみに史実の笠置シヅ子は、淡谷のり子(『ブギウギ』では菊地凛子さんが演じる茨田りつ子)などに比べると、モダンな芸風の歌手だったので、ドラマで描かれたほどには、多くの慰問公演依頼は来ず、東京を出る機会も少なかったそうですよ。

 それまで笠置には浮いた話もなく、生真面目な生活ぶりだったそうですが、エイスケとの関係は笠置のひとめぼれで始まったようです。

笠置がハリウッドの恋愛映画で覚えたアプローチ術とは?

 当時、エイスケはまだ早稲田大学に在学中でした。しかし、笠置は9歳年下の彼のことを「美眉秀麗な貴公子」だと感じ、その魅力に「圧倒されて、ちょっと言葉が出ませんでした」とまで告白しています。

 笠置がその自伝で語る男性操縦スキルはなかなかのようです。笠置は彼に取り入ろうとするほかの女性たちとは真逆のアプローチを試みているのですね。彼のことをあえて持ち上げず、「二言目には、『なんや、興行師の子せがれのくせに』」と呼んで、へりくだることを絶対にしませんでした。これは、遠慮なく言い合える男女のほうが、お互いの「掛け値なしの魅力」を早くに理解しあえ、仲良くなれるという、当時のハリウッドの恋愛映画で覚えた手練手管だったようです。

 エイスケは、「興行師の子せがれ」と笠置から言われると嫌がりましたが、ほかの女性たちとは違う「何か」を彼女に感じ、いわゆる「おもしれー女」として笠置を意識するようになったようです。

 そんな笠置とエイスケが正式に恋人になったのは、名古屋で初対面してから1年半ほど後の昭和19年末(1944年)でした。笠置はすでにスター歌手でしたから、彼女の三軒茶屋の自宅と、エイスケの暮らす市ヶ谷の邸宅を行き来する自宅デートが中心でした。この頃の笠置は父親と同居していましたが、エイスケの家は、大阪から吉本の幹部が上京するときの宿泊所代わりだったものの、ふだんは彼が一人で住んでいました。女中も日中だけでしたから、笠置が深夜から翌朝にかけ、泊まり込みでエイスケの家に行くことが多かったそうです。

 近所にはエイスケの姉が住んでいたので、気づかれたくなかった笠置は夜明けに三軒茶屋の自宅に戻ることを繰り返していました。

『ブギウギ』スズ子と愛助が同居に至る謎とは

 ドラマでは愛助が倒れたので、スズ子は荻窪の一軒家で看病どっぷりの日々を過ごしていましたが、史実では二人水入らずの時間はほとんどなかったそうです。自伝によると、史実のエイスケも肺結核を患っていましたが、この時点ではそこまで悪くなかったようですね。

 しかし、昭和20年(1945年)5月25日、三軒茶屋の笠置の自宅が空襲にあって全焼したということをきっかけに、笠置とエイスケの「同居」が、なぜかはじまります。この背景にあるのは、かなり謎めいた経緯なんですね。

 吉本興業の林弘高常務(当時)が用意した邸宅に、エイスケと笠置は匿われました。林常務は、ドラマでは黒田有さん演じる坂口というキャラでしょう。ドラマの愛助とスズ子が暮らした家は三鷹にあって、愛助の肺結核の療養所代わりという設定でしたが、史実で笠置とエイスケが同居した家は荻窪にあった林常務の家の隣にありました。

 この家には笠置やエイスケ同様、空襲で住む家を失った林常務の親戚たちも同居しており、笠置の自伝を読むかぎり、エイスケは肺結核で寝込んではいなかったようなのです。

 次回につづきます。

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『眠れなくなるほど怖い世界史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

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Twitter:@horiehiroki

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最終更新:2024/03/22 13:36
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