老いゆく親と、どう向き合う?

認知症のテストに「バカにされている」と激怒! 若年性認知症になった妻との生活

2024/03/03 18:00
坂口鈴香(ライター)
写真ACより

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 北野寛さん(仮名・68)は、若年性認知症を患う妻、美代子さん(仮名・67)を介護して8年になる。現在、美代子さんは特別養護老人ホームに入っており、コロナの影響もあって面会できるのは週に2回、30分程度だ。時間の制約以上に、美代子さんとはほとんど意思の疎通ができていないことに胸が痛むという。

「妻は私たちとは別の世界にいて、私たちを見守ってくれる存在のような気がしています」

 悟りのような境地に至るまでには、さまざまな葛藤があった。

目次

妻が若年性認知症に
介護サービスとつながり平穏な日々が戻った

妻が若年性認知症に

 美代子さんが若年性認知症を発症したのは、50代後半。まだ仕事をしていたころだ。何度も道を間違えるなどはあったものの、それほど気に留めていなかった北野さんだったが、決定的だったのは、娘の家を間違えて知らない人の家に入りかけたり、買い物をすると必ず1万円札を出して釣銭をもらったりするのに気付いたことだ。

 病院を受診したものの認知症とは確定できず、認知症のテストに「バカにされている」と激怒した美代子さんは再び受診しようとはしなかった。

 ところが美代子さんの定年が近づいたとき、北野さんは美代子さんの会社から呼び出された。

「会社にもいろいろと迷惑をかけていたようで、定年後は雇用延長せずに退職してほしいと言われました」

 仕事をやめた美代子さんは、北野さんが仕事でいない日中、北野さんの母宮子さん(仮名・89)と過ごしていたが、次第に妄想や徘徊がひどくなっていた。

「見えない相手と話したり、鏡の中の自分を他人だと思って攻撃したりしながら、家の中を動き回っていました。夜中に私を起こして暴言を吐いたりもして、私も精神的に追い詰められていきました」

介護サービスとつながり平穏な日々が戻った

 北野さんに初期の胃がんが見つかったのをきっかけに、息子が美代子さんの受診の手続きを進めてくれて、ようやく「若年性アルツハイマー型認知症」という診断が下りたが、北野さんには「やはり」という思いしかなかった。

 ちょうどこのころ、地元の社会福祉協議会が主催する認知症の勉強会が開催された。美代子さんの言動に苦しんでいた北野さんは、助けを求めるように勉強会に参加し、終了後のアンケートに美代子さんの病気を明かして、「相談したい」と書いたのだ。

 これが契機となり、美代子さんはようやく介護認定を受け、介護サービスとつながることができた。北野さんは吹っ切れたように、周囲の人や警察に美代子さんの病気を伝え、徘徊している美代子さんを見つけたら連絡してくれるように頼んだ。認知症患者の家族会にも参加するなど、北野さんの精神的な負担を減らす試みも続けた。

 美代子さんが日中デイサービスに行くようになると、北野さんの心身に余裕が生まれた。イライラして美代子さんを怒鳴ったり、手をあげたりすることもなくなり、穏やかに接することができるようになったという。

 北野さんの気持ちが美代子さんにも伝わったのか、美代子さんが暴言を吐くこともなくなった。美代子さんがデイサービスに行っている間、北野さんは退職後の夢だったブドウ栽培にいそしむようになる。朝晩は美代子さんと手をつなぎ、愛犬の散歩をするのが日課となった。母の宮子さんは元気で、家事を担ってくれている。時折、美代子さんが楽しそうに笑うと、これ以上望むものは何もないとさえ思えた。

 だが、そんな穏やかな毎日は長くは続かなかった。

――続きは3月17日公開

坂口鈴香(ライター)

坂口鈴香(ライター)

終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

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最終更新:2024/03/03 18:00
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