【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

「昭和」最後の日、天皇崩御時の報道フィーバーと「自粛」空回り―日本中の異変からわかること

2022/12/31 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
ウェストミンスター寺院で担がれたエリザベス女王の棺(C)GettyImages

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、昭和天皇崩御の前後について雑誌記事中心に振り返ります。

――昭和天皇がいよいよ危篤だという時には、どういう情報が出ていたのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 天皇が崩御なさった昭和64年1月7日は土曜日で、NHKは早朝から特設ニュース枠にて特別放送をしていました(WEBマガジン「NHK政治マガジン」、2017年12月11日「昭和最後の日へタイムスリップ」)。

 この記事によると「皇太子殿下(=現・上皇さま)が皇居にかけつけた」「宮内庁が『ご危篤』と発表した」「竹下総理大臣(当時)が皇居にお見舞いに行ったあと、総理大臣官邸に入った」……などなどのニュースが次々と報じられ、「午前7時55分、宮内庁の藤森長官(当時)は、昭和天皇が午前6時33分に崩御したことを発表。NHKも、昭和天皇の崩御と今の天皇陛下(=現・上皇さま)の即位を伝えました」。

 その直後に、ご最期まで隠してきたが、昭和天皇のご病名は「十二指腸乳頭部周囲腫瘍、腺がん」だとする発表が宮内庁からもあったのは、前回お話したとおりです。

――朝日新聞などが「膵臓がん」とフライング発表してしまったのですが、その病名はあえて「踏襲せず」なのですね。

堀江 宮内庁のプライドということもあるでしょうけれど、進行後のがんは転移しやすくなりますので、実質的には「全身がん」の状態だったでしょうね。陛下の直接の死因となった症状が、その「十二指腸乳頭部周囲腫瘍」だったということでしょうか。

 お話が現在のイギリスに飛びますが、この約33年前の宮内庁より、2022年のイギリスのバッキンガム宮殿広報部のほうがすさまじく秘密主義だと思いました。

 女王の死因は「老衰」であると公表はされたので、昭和天皇の「(全身)がん」とは違う衰え方だったかもしれません。しかし、晩年の女王について体調不良や病状の公表はわずかに1回あっただけ。昨年(21年)末、“episodic mobility problems”(一時的な歩行の問題)が伝えられただけなんです。

 女王が亡くなった9月8日も、昼過ぎに「女王の医師団が、女王陛下は健康が懸念される状態であり、医師団の監督のもとに置かれる」という発表があっただけ。

――振り返ってみれば、これが実質上の危篤宣言であったようですね?

堀江 はい。しかも、危篤宣言だったにもかかわらず、“The Queen remains comfortable and at Balmoral”――女王は(滞在先の)バルモラル城で「comfortable(快適)」に過ごしている……などと訳せる衝撃の文章がついていたんですね。

――すごい矛盾を感じざるを得ません。この3時間ほど後に女王は亡くなったのですよね?

堀江 はい。死の直前でも快適……先ほども申し上げましたが、女王の死因は「老衰」だったので、この「comfortable」という単語を「何かの痛みに苦しむことなどはなく」と訳した媒体もありましたが……。とにかく、ヨーロッパでは国家の命運を体現する存在が君主であり、君主が体調不良でネガティブな状態に陥ることなど公にはありえない、認めないぞという超伝統的な立場を貫いたとも読めますね。

 とにかくすごい秘密主義だと思わせられるわけですが、それに比べると、昭和末期の日本の宮内庁は情報公開を「頑張った」ほうだといえるでしょう。

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