老いゆく親と、どう向き合う?

「1回の食事に2時間もかかる」意識レベルの低い妻が、夫にかけた奇跡の言葉とは?

2024/03/17 18:00
坂口鈴香(ライター)
写真ACより

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 若年性認知症を患う妻、美代子さん(仮名・67)を介護する北野寛さん(仮名・68)。美代子さんが若年性認知症と診断されて介護サービスとつながり、北野さんも美代子さんの病気を周囲に公表してからは、それまでの葛藤が吹っ切れたように平穏な毎日が戻っていた。

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目次

「お父さん、ありがとうな」
美代子さんが北野さんに向けた最後の言葉
もうひとつの奇跡

「お父さん、ありがとうな」

 しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。何回目かのコロナワクチンを打ったころ、美代子さんは急激に足腰が弱ってしまった。散歩中に、美代子さんが200メートルほど歩いたところで、もう一歩も歩けなくなってしまった。

 この日から、これまでできた排泄ができなくなったり、よちよち歩きしかできなくなったりするようになった。検査したところ、水頭症だと判明した。文字通り頭に水(髄液)がたまる病気で、歩行障害や尿失禁などが起こる。

 手術を検討していたある日、北野さんが農作業をしているとデイサービスから電話がきた。「奥さんが転倒し、頭を強く打って意識がなくなっている」という。

 救急車で運ばれ検査した結果、美代子さんは頭部強打によってクモ膜下出血を起こしていることが判明した。容体が安定しているので自宅で介護することになり、帰宅した翌日、美代子さんは発熱。コロナに感染していたのだ。コロナ病棟が一杯だったため、北野さんが依然として意識レベルが低い美代子さんを自宅で看るしかなかった。

 相変わらず美代子さんの意識レベルは低く、嚥下状況も悪化するばかりだった。ゼリーも飲み込めず、1回の食事に2時間もかかるようになっていた。

 そんなある日、美代子さんの身体ケアをしていると、美代子さんと目が合った。そのとき――

「妻が私の目を見て、『お父さん、ありがとうな』と言ってくれたのです。転倒して以来、うなずいたり、『うん』と言ったりするくらいが精いっぱいだったのに……」

美代子さんが北野さんに向けた最後の言葉

 その日、保健所からこのままでは危険だから入院手続きを進めると連絡が来た。これが美代子さんと北野さんが一緒に暮らせた最後の日となった。

 そしてこの「お父さん、ありがとうな」が、美代子さんが北野さんに向けた最後の言葉となったのだ。

 幸い入院後、美代子さんはコロナから回復したが、嚥下状態も身体状況も改善しない。もう自宅に戻すことは難しいと判断せざるを得なかった。美代子さんは胃ろうをつくり、申し込みをしていた特別養護老人ホームに入所することになった。

 朝晩、二人で手をつなぎ、愛犬の散歩をしていたのはほんの1カ月前のことだ。今の状況が本当に現実なのか、わからなくなる。美代子さんと面会すると、その表情から「今日は気分がよさそう」と北野さんまで明るくなる日もあれば、「今日は調子が悪そうだな」と感じて沈み込む日もある。

 「お父さん、ありがとうな」の言葉は、奇跡だと改めて思う。美代子さんが別の世界に行く前に、一瞬昔に戻ってかけてくれた感謝の言葉が、今の北野さんを支えている。

もうひとつの奇跡

 実は、美代子さんがデイサービスで転倒する10日ほど前に、北野さんは別の“奇跡”を体験していた。

「ある朝、台所から『ドン!』と大きな音がしたんです。妻が椅子から落ちたのかと思って、慌てて行ってみると母が倒れていました。すぐに医者に連れて行ったのですが、特に異常はないと言われて、自宅で様子を見ることにしました」

 ところが翌日、北野さんが美佐子さんの介助をしていると、母の宮子さん(仮名・89)が北野さんに持たれかかってきた。また気を失っていたのだ。

――続きは3月31日公開

坂口鈴香(ライター)

坂口鈴香(ライター)

終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

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最終更新:2024/03/17 18:00
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