“女性器えぐり取り”殺人犯の告白……「あそこがあるから自分も苦しむ」男を二度寝取られた女【神奈川“阿部定”イズム殺人事件:後編】
玄関口に戻り、そこにあった拳大の石ころを手に取って再び六畳間にいるみつに駆け寄り、顔面を殴りつけたのだ。殴打は一度では止まらなかった。謝り逃げようとするみつを追いかけ、今度はその後頭部を二回、殴打。とうとうみつは絶命した。
それでも怒りが収まらないよねは、石を投げ捨て、今度は台所にある菜切包丁を手に取った。そして、仰向けに倒れて亡くなっているみつの着物の裾をめくりあげ、「男が殺したように見せかけるため」(当時の新聞記事より)あらわになった女性器に包丁を突き立て、無残にも下腹部をえぐり取ったのだった。
さらに、これを持ったまま戸外に出て、敷地内の井戸に投げ込んだ。警察が捜索しても見つからなかった下腹部は井戸に投げ棄てられていたのだ。
まもなく変わり果てたみつの姿を、近所の者たちが発見し、新聞に「グロ事件」「お定事件の逆」と大きく報道される事態になりながらも、よねは素知らぬ顔で、夫と6人の子どもたちとの生活を続けていた。
「おみつさんのあそこがあるから自分も苦しむ」
63歳のみつ、59歳のよね。彼女たちのもとへ足繁く男たちが通い、愛欲に溺れる日々。よねは幾度もみつに男を奪われ、悪感情を募らせた。一方、よねが言うには、みつもよねを意識していたようだった。
逮捕当時の供述によれば、
「自分の髪結仕事の邪魔をするために、みつが他から髪結を連れてきた」
「近所の男の家に入浴に赴いた際に顔をあわせると恐ろしい目つきで睨みつけられた」
など、互いに嫉妬心を抱き合う関係だったこともうかがえる。
よねは逮捕後にこう語っていたという。
「おミツさんのあそこがあるから自分も苦しむようになった。東京の阿部定事件が新聞に出ていたので思いついたのです」
みつの下腹部をえぐり取る残虐な行為は、やはり阿部定事件をヒントにしていた。
しかし、定のように懐に抱きかかえて時折口に含むことはなく、みつのあそこは井戸に投げ棄てられた。その井戸水は、葬式などに来た村人たちが何も知らずに盛んに飲んでいたという。
<参考文献>
・「朝日新聞」昭和11年6月
・「アサヒ芸能」(徳間書店)2012年3月
・『明治・大正・昭和事件犯罪大辞典』(東京法経学院出版)