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長瀬智也が『鉄腕DASH』で「こりゃ死ぬな」と漏らした命懸けNG企画

2020/08/09 20:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

来年3月にジャニーズ事務所を去る長瀬智也さん。13歳でジャニーズ入りし、3年後にTOKIOのメンバーとなってデビューした長瀬さんですが、持ち前の華に加えて演技力もメキメキ向上し、日本のドラマや映画界に欠かせない俳優になりました。そんな長瀬さんの新人時代のドラマ取材から、豊富な思い出をアツが語ります。

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 皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです!

 さぁて今週のアツコちゃんは……。ハイ、先週に引き続き長瀬智也くんについてです。ほんの少しでも皆さんの知らなかった長瀬くんの姿がお届けできているといいのですが、いかがだったでしょうか?

 何から書けばいいのか迷っちゃうんだけど、まずは1995年のドラマ『カケオチのススメ』(テレビ朝日系)でのことから。ある日の早朝、東京・恵比寿の病院内でロケをしていたのだけど、急に長瀬くんの体調が悪くなって。ちょうど病院ということもあり診察していただいて点滴を受けることに。

 心配するスタッフに、ドクターはこうおっしゃいました。「 過労ですね。ひとまず点滴をして様子を見ましょう」と。

 当時、16歳という若さで毎日が超多忙だった長瀬くん。朝一番からの撮影で元気な姿を見せていたんだけど、どんどん顔色が青白くなっていって。本人は「具合が悪い」と申告しないのだけど、異変を感じた周囲からの助言で診察を受けることに。あれが病院内でのロケで本当によかったと、つくづく思ったものよ。

 スタッフはスケジュール調整に入って、午後からの撮影を後日にできないか検討したんだけど、当時、長瀬くんに付いていたマネージャーさんは「予備日がない」と一言。午後からの撮影を続行するしかなかったの。幸いにも点滴を受けた長瀬くんは復活して、午後からは神奈川の奥地でのロケに。まだお子ちゃまだったから「初めての点滴だよ。すごいね、点滴って。元気になったもん」とか言っちゃうくらい軽症で良かったんだけど。

 ところが、いざ撮影再開で神奈川に着いたら、マネージャーさんは「悪い。東京で他のメンバーの仕事があって。送り迎えをしなくちゃいけないから行ってくる。ちょっと長瀬を見ててくれる?  何かあったら電話して。夜には戻れると思う」と言い残してお出かけしてしまったの。当時はTOKIOの5人それぞれにマネージャーさんが付いている状態ではなかったから、体調不良でも長瀬くんを現場にひとり置いて行くしかなかったのよね。

 不安を抱えつつも16歳の長瀬くんは元気いっぱいに撮影を始めて、共演者の皆さんと楽しく雑談したりでホッと胸をなでおろしていたんだけど、夕食の頃になって「 食欲がない」と言い出して。とにかく横にならせてしばらく見守っていたんだけど夕食は食べられず。マネージャーさんや監督に報告しようとしたら、長瀬くんは「まだ言わないで。共演者のみんなにも迷惑かけちゃうし。少し寝て様子を見てからにして」って。

 今みたいに、「体調不良で大事をとって」という風潮は、まだ全然ない時代。仕事に穴を開けるなんてできなかったのね。弱冠16歳のアイドルが「こんなにも責任感があるなんて」と、アツおかーさんは涙ぐむくらい感動(でも心配)したのよ。その後も様子を見ながら深夜まで撮影は続き、何とかフィニッシュ。少年の頃からどんな時も弱音を吐かない男だったのよ。

 今までの長きに渡り、長瀬くんが自らNGを出した仕事はたったひとつだけ。『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)で、あまりに危険な命懸けのロケがあって、本当に危険だったの。

 でも無事にやり終えて放送したのだけど、本人は「さすがに訓練もせずに挑戦したから、こりゃ死ぬなと思って。終わってから初めてムリだよって言った。やるならやるで、練習してからじゃなきゃダメだって訴えたよ〜」って。

長野ロケ『白線流し』で急成長
 その後、1996年の主演ドラマ『白線流し』(フジテレビ系)は大人気を博し、2005年までシリーズで続いて。何とも切ない素敵なドラマで、長野までロケに行って撮影したのよね。同年代の役者がたくさん出演していてみんな仲がよくて。

 ある時、チーフマネージャーさんから「たまには長瀬を遊ばせてやってよ」と言われて、松本からちょっと離れた古民家風なお店で長瀬くん&現場マネージャーさんと一緒にこっそり夜ご飯を食べに行ったことがあるの。『白線流し』は随分評判になったドラマだから、長野の街中でも長瀬くんはみんなに声をかけられて、その度に「ありがとうございます」と応対していてね。でも夜はホテルに戻ってひとりギターをかき鳴らして、バランスをとっていたみたい。

 体力的にはギリギリの状態だったと思うんだけど、改めて今、見直してみても『白線流し』はキュンとくるし、長瀬くんの代表作のひとつね。

 1997年にはあの伝説の山田太一ドラマ『ふぞろいの林檎たちⅣ』(TBS系)に出演。中井貴一さんたちとガッツリ渡り合って、平成の『ふぞろいの林檎』世代として名を馳せたのよ。貴一さんや時任三郎さん、柳沢慎吾さんたちが「長瀬くんはいい役者だね 〜」と手放しで褒めていたのを今でもハッキリと覚えているわ。

 山田太一さんの作品でまた一皮むけた長瀬くんが次に挑んだのが、岡田准一くんとのドラマ『D✕D』(日本テレビ系)。97年『D✕D』の記者会見でいただいたストラップを、実はまだ付けている物持ちのよいアツですが、何か?

 真夏の新宿、あっちこっちでロケをしたっけ。主題歌は"Tomoya with 3T"名義でリリースした『ETERNAL FLAME』。音楽活動でも新境地を切り開いていったのよね。

 そして1999年の『リング〜最終章〜』(フジテレビ系)では、お寝坊事件がぼっ発。とある島での大がかりなロケがあり、朝が弱い長瀬くんは前日の夜に、船が出発する近くのホテルに宿泊。準備万端整えていたんだけど、うっかり寝過ごしてしまい乗船できず。残念ながらその日はもう船便がなく、あれこれ手立てを考えてセスナ移動へと。確か調布まで行って飛んできたはず……と記憶しているんだけど、スタッフももう苦笑いしかなくてね。みんな待ちぼうけをくらいながらもネタにしちゃって、今ではすっかりいい思い出よ。

『IWGP』から『ムコ殿』、愛され長瀬智也の快進撃
 その後の2000年には今でも語り継がれる『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)のマコっちゃん役が。若かりし山下智久くんもご出演していたこのドラマは通称『IWGP』と呼ばれ、脚本は宮藤官九郎さんで、監督は堤幸彦さんという異彩を放つゴールデンコンビ。それに次から次へと話題の人が出演して、どのシーンも目が離せなかったのよね。

 キング役の窪塚洋介さんや、佐藤隆太さん、阿部サダヲさん、坂口憲二さん、妻夫木聡さん、西島千博さん、高橋一生さん、きたろうさんに、渡辺謙さんという錚々たるメンバー。堤監督のどんなムチャぶりにも果敢に立ち向かっていく長瀬くんにはホント驚いたし、大物俳優さんを前にしても堂々としていて一歩も引けを取らないしね。ぶくろ近辺でロケをしていて、たまに人が集まりすぎてトラブルが起きても平然としてたし度胸たっぷりでね。

 2001年の『ムコ殿』(フジテレビ系)では一転しておちゃめなムコ殿を演じて、役名の桜庭裕一郎名義で激中歌『ひとりぼっちのハブラシ』をリリース。当時は女帝・Kプロデューサーの「長瀬智也好き好き攻撃」が止まらなくて、愛情たっぷりのドラマになったというわけ。

 続いて2001年の『ハンドク!!!』(TBS系)は堤監督の本領発揮とも呼べる作品で、二宮和也くんとともに堤ワールドを思いっきり堪能させてくれて。長瀬くんは全力投球で"一番"という役を演じていたから、その熱さは画面を通しても伝わってきたわよね。

 あるシーンで瀕死のニノを蘇生させるため、心臓マッサージを施したんだけどね。何たって長瀬くん演じる一番は全力だから、生き返らないはずのニノが思わず全力マッサージに耐えかねて「痛ッ」と小さくつぶやいてしまったの。もちろん悪気なんて全然なくて、撮り終わってから胸を押さえてうずくまるニノを見て「どうした?  エッ、ごめん。俺か? あ〜力が入りすぎたぁ」と慌てて謝っていた長瀬くん。ろっ骨にヒビが入っていないか、みんなで心配しちゃったぐらいだけど、大丈夫でほっとしたわ。

 2004年の『彼女が死んじゃった。』(日本テレビ系)では後に東山紀之さんの奥様になる木村佳乃さん、そして深田恭子ちゃんと「両手に花」共演。同年のスペシャルドラマ『弟』(テレビ朝日系)では石原慎太郎さんの役を演じたっけ。外国人のエキストラさんともすぐに仲良くなって、激しいアクションシーンでもスタントマンなしで挑んでたなぁ。父親役の渡哲也さんも「長瀬さんは男が惚れる男で最高の役者」とベタ惚れしてたもの。

 そして2005年の『タイガー&ドラゴン』(TBS系)では再び岡田准一くんと共演。岡田くんが「モニターチェックをしていて、自分の演技を見て、あんなに大声で笑う人を初めて見たよ」と笑いながら言ってたけど、全力で振り切る演技も繊細な演技もお手のもの。以前、桐谷健太くんのことを書いた時にもちょっと触れたけど、『タイガー&ドラゴン』クランクアップの街中ロケでのトラブルでも、慌てず騒がずの長瀬くん。ホント、肝が据わってるわ。

 そしてそして話題を振りまいた2006年の『マイ★ボス  マイ★ヒーロー』(日本テレビ系)も、かなりいろんな場所でロケをして。偶然なんだろうけど、共演していた手越祐也くんと田中聖くんは2人とも退所していて、今度は長瀬くんが退所。何という巡り合わせなのかしら?  でもTOKIOの主題歌『宙船』は名曲だし、ドラマ名物のプリンでも食べながら『宙船』を聴いて見直してみるのも一考かも。長瀬くん演じるマッキーの顔芸も忘れられないわ。

木村拓哉に勧められた石鹸
 2009年の『華麗なるスパイ』(日本テレビ系)は何だかよくスケジュールが変更するドラマで、ドタバタしてたけど、2010年の『うぬぼれ刑事』(TBS系)はまたまたクドカンドラマで、生田斗真くんとの掛け合いも最高で。TOKIOのエンディング歌『NaNaNa(太陽なんていらねぇ)』はカラオケに行ったら『宙船』同様、必ず歌うオジサンたちがいっぱい。

 2013年の『泣くな、はらちゃん』(日本テレビ系)も三崎町なんかによくロケに行って。エンディングテーマ『リリック』は長瀬くんの作詞作曲。演じるのは大変だったと思うけど、楽しそうに演じていて、はらちゃんファンも急増したしね。

 その後すぐに『クロコーチ』(TBS系)に主演。刑事なんだけど、ワイロを受け取ったりする事件解決のためには手段を選ばない悪徳刑事のクロコーチ役だったんだけどね。はらちゃんとは一転したドラマであり、役柄であり、切り替えには苦労したはずなのに、本人は「眉毛の上げ下げ、口角の上げ下げ、そんな誰にも分からないような1ミリ単位の変化を自分に課して楽しんでる」なんて言っていて、すでに長瀬くんにはやれない役はないなと感心しきり。

 2016年の『フラジャイル』(フジテレビ系)、2017年の『ごめん、愛してる』(TBS系)でも新境地を開いて、どんな役にも魂を込めて演じる役者・長瀬智也を確立していったしね。

 映画『真夜中の弥次さん喜多さん』の監督&脚本も担当したクドカンさんは「初日の本読みから、窓ガラスが割れるんじゃないかと心配するぐらいの全身全霊をかけた大きな声でセリフを言ってくれた長瀬くんには本当に感動しました。とにかく……凄い人です」と評していたけど、まさしくそう。ずっと近くで取材してきて、インタビューして、見続けてきたけど、いつの間にか気がついたら長瀬くんったらとんでもない凄い人になっていて。ビックリ以外の何ものでもないわ。

 音楽に関しては今さらアツが語るまでもなく、ファンの皆さんが知っての通りだけど。デビューしてまもなくの頃は山口達也くんが「まだ長瀬の歌を安心して聴くことはできないな」なんて言ってたの。昔はギターじゃなくタンバリンを持って歌っていて、足にタンバリンを打ち鳴らした痕である青アザがクッキリ浮かんでいてね。あまりに強く叩いていたからで、メンバーたちも心配していたけれど、思えば歌も演技も人生も、タンバリンだって、長瀬くんは何でもかんでもいつでも全力で挑んでいたんだろうなぁ。

 きっとこれからも全力真っ向勝負なんだろうから心配はしていないけど、でもちょっと寂しさが残るのが本音よ。じゃあ最後にかわいいエピソードをイッパツ。

 まだ10代の頃、ニキビに悩まされていた時のこと。若さゆえ何をしても肌荒れが改善せずにいたんだけど、ある時、木村拓哉さんが「これ使ってみなよ 」と渡してくれた石鹸があって。その気持ちが嬉しくてその石鹸を使って顔を洗い始めた長瀬くん。少しよくなって喜んじゃって、とにかく洗顔洗顔の毎日に。ところが今度は「洗い過ぎ」による乾燥肌になってしまって大騒ぎ。よく聞けば「洗顔した後は何もつけてない」とのことで、ヘアメイクさんと相談してローションや乳液を塗ることに。ね、何をやっても全力だから洗顔だってどこまでも真剣に一直線に全力投球。いかにも長瀬くんらしいでしょ?  あんなにお子ちゃまだったのに、いつ勝手に大人になったのよ〜っ!

 ま、長瀬くんももう40代。次のステージでどんな変貌を遂げるのか、今はもうじっと静かに見守るしかないわよね。松岡昌宏くんが言ってくれたけど、何があっても今までもこれからもいつまでも「 TOKIOは5人!」なんだから、それを信じて成功を祈るのみね。ちなみに達兄ィも元気に暮らしているわ。マメに連絡をくれる達兄を慕うメンバーがいるしね〜。5人の絆は永遠。まさにエターナルよ。

 智くん、思い出いっぱいの素敵な25年間をありがとう。これからもどうか応援させてね。あなたの未来が幸せに包まれますように、心から祈ってま〜す!

最終更新:2020/08/09 20:00
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