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はあちゅう虐待通報で警察沙汰を引き起こした「正しい育児」の押し付け

2020/02/06 20:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

 ブロガーで作家のはあちゅうさんが、夫のしみけんさんとの間に生まれた生後4カ月の長男の動画をインスタグラムに投稿したことにより、家に警察が来たことをブログで明かした。

 ブログ記事は1月29日にアップされたもの。それによれば「ツイッター上の はあちゅう専用アンチアカウントを 持つ方たちの間で児童虐待の通報運動が起こり」、警察がこれを受けて、自宅にやってきたという。

 発端はこの3日前、インスタグラムのストーリーに、長男が遊具で遊びながら寝てしまう動画をアップしたことだった。動画を見たと思しきネットユーザーらが、ツイッターに「グッタリして寝るまで何時間も乗せている」「首が絞まっている」など、はあちゅうさんの児童虐待を疑う文言を発信し、通報を呼びかけた。

<インスタグラムですでに否定していますが、
何時間も遊具にのせていたり、
首が絞まっていたり、
ぐったりしていた事実はありません。

自宅にいた夫から連絡があり、
私も仕事を全て切り上げて帰宅し、
警察の方々とお話しました。>
(はあちゅうさんブログより)

 はあちゅうさんは虐待を否定しているが、それでも虐待だとツイッターでリプライを送るユーザーはまだいる。次第にはあちゅうさんへの批判は「子供の写真をアップするべきではない」という論調にスライド。こうした内容のリプライをはあちゅうさん本人に送ったり、タグをつけて投稿するアカウントが複数現れ、千本ノックの様相を呈している。

「はあちゅうさんに限らず、子供の写真をSNSに公開しまくる親の心境が全く理解できません。」
「子供の成長や可愛さは夫婦で噛みしめればいいだけで、それをSNSに載せるからこうなるんだよ」
「モザイクかけるかいっそのこと子供の写真をあげるべきではない(芸能人、一般人問わず)」
「子供の危機管理より映える写真を撮ることのが大事?」
「可愛いから動画撮ろう!って放置してSNSに載せる人は、子供をぬいぐるみやオモチャと同じ感覚で見ている」
(ツイッターから引用)

 批判対象ははあちゅうさんだけでなく“親全体”にシフトし「子供の写真を無断でSNSにアップする親」のモラルを断罪するツイートが増えつつある。だが実際のところ、「子供の写真を無断でSNSにアップする親」は、そのことをモラル欠如と認識しておらず、批判を受けたところで何も変わらないのではないかという気がする。

 少なくともインスタグラムには相当数、子供の写真をアップするユーザーたちがおり、まったく珍しい存在とは言えない。インスタグラムにアップしないが、友人のみに公開の設定でFacebookにアップするユーザーもいる。なんなら、あなたの周りにも一人は必ずいるはずだ。子供が産まれた途端、Facebookのタイムラインが子供の写真一色になった友人が……。

 さかのぼること6年前、2014年に筆者はmessyという媒体でこうした現象について記事を執筆した。当時、次のように書いていた。

<食事においては、お子さんの安全を第一に考えていることが伝わってくるが、その一方で、お子さんのプライバシーや安全には全く配慮せずに、お子さんの顔を隠さず写真をアップし続けている無防備なママさんが実に多い。>

 今、その傾向はさらに広まり、一般化しているように思う。

 圧倒的にデメリットが多いとしたら、こんなに大勢の親たちが我が子の写真をSNSに投稿しないだろう。つまり、ほとんどのユーザーはその行為で特に困った目に遭っていない。それどころかメリットを感じてもいるのかもしれない。

 SNSでは同じ属性のユーザー同士が交流しやすいという特性がある。同じ月齢の子を育てるお母さん同士がタグでつながり、育児の相談をしあったり、近所に住むママさんたちともジオタグでつながることができたりもする。交流の幅が広がり、育児の辛さや大変さを共有できる仲間が増えることは、母親となった女性にとって心強いことである。

 全世界に子供の写真を発信する親もいれば、限られた者だけに公開する親もおり、滅多に公開しない親もいれば、全く公開しない親もいる。目線を入れるなど、一部を隠す対応もよく見られる。公開している親たちは、のちに成長した子供達とその件について対峙する日が来るかもしれないが、子供側も「写真を撮ったらネットにアップするのが当たり前」という認識になっている可能性もある。

 親が有名無名にかかわらず、子供の写真を公開するという行為は確かにリスクであり、他者に“弱みを見せる”ことと同義である。平和に暮らしているつもりでも、夫の浮気相手に恨まれているかもしれないし、小児性愛者が我が子の写真をコレクションしているかもしれないし、誰かが敵意を持ってあなたを見つめているかもしれない。インスタで連続して投稿を眺めれば、居住エリアも、友人知人も、うっすらとした経歴も、わかってしまう。どうか気をつけてほしい。

「新しい正しい育児」を押し付ける
 はあちゅうさんに対する批判に立ち戻ると、朝のワイドショー番組『グッとラック!』(TBS系)で興味深いコメントがあった。

 同番組ではこの「虐待通報騒動」を取り上げ、はあちゅうさんのアンチという人物らに取材をしている。“はあちゅうアンチ”たちは、「間違った育児を正したい」という思いを語っていた。

 しかし「間違った育児を正したい」という思いは傲慢ではないだろうか。赤の他人の育児方法を「正したい」というのは、それが間違っているとジャッジした上でのことだろう。

 そもそも「正しい育児」とは何か? その定義も曖昧なまま「正したい」などと行動するのはあまりにも乱暴だ。間違っていると指摘した上、それを矯正させることなど可能だと本気で思っているのだろうか。

 母親という役割についた女性たちは、上の世代の母親や世間から「正しさ」を押し付けられがちだ。ベビーカー論争などはまさにそれに該当する問題であろう。「こうするべき」という視線や声に押しつぶされないよう、「正しい育児」という一面的なモノサシから解放されたいというのは、現在進行形で子育てする多くの母親の願いではないか。

 そう考えれば、「(私の考える)正しい育児」を他者に押し付けようとすることが、どれほど暴力的なことかわかるはずだ。筆者ははあちゅうさんを擁護するわけでも、彼女の育児を肯定するつもりもないが、アンチによる「正しい育児」の押し付けには反対したい。

 また「間違った育児を正したい」のであれば、世界中にアップされている「虐待とも疑われる動画」「子供の写真をアップする行為」は、はあちゅうさんに限らず「正しくない」行為となるのであるから、そんな振る舞いをしているネットユーザーたちを片っ端から「正して」いけばいい。そうしないのは、単にはあちゅうさんという叩いて面白い存在をターゲットにしたいだけだからだろう。これはただの粘着であり、いじめと変わらない。いじめを楽しみながら「正しい育児」を説こうとする姿は滑稽だ。

最終更新:2020/02/06 20:00
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