【老いてゆく親と向き合う】

「義母はかわいそうだった」夫と義母のダブル介護を背負った嫁の決断【老いてゆく親と向き合う】

2019/07/28 19:00
坂口鈴香

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”

――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。藤本千恵子さん(仮名・58)の話を続けよう。

一番厳しい病院に入れてもらおう

 藤本さんは認知症の義母を介護していたが、3年後、今度は夫の公男さん(65)が脳出血で倒れた。手術で意識は戻ったものの、状態は重篤だった。

「倒れてから7時間も放置されていたので、症状が重く、水どころか唾液も飲み込めず、座位もとれませんでした。左半身まひで、最初に運ばれた急性期病院ではお医者さんから『施設に入るという選択もありますよ』と言われたほどでした」

 それでも、藤本さんは医師の言葉を受け入れることはできなかった。

「倒れるまで、バイクを乗り回していたほど元気だったのにと思うと、あきらめることはできませんでした。娘たちと話して、『一番リハビリが厳しいところに入れてもらおう』と決めました。ところが、お医者さんは『その病院は回復の見込みがある人が入るところ。お宅は当てはまりませんよ』とおっしゃるんです。でも、うちの夫はまだ60歳。どうしてもその病院でリハビリをしてほしいと思い、直接電話してみたんです。ケースワーカーさんに『ご主人はいくつですか』と聞かれたので、60歳だと答えたところ、『引き受けます』と言ってもらえました」

 藤本さんの熱意で、門は開かれた。しかしながら、“一番厳しい”病院に転院してからのリハビリは、公男さんにとって本当にきつかった。急性期病院を退院するときは、ようやく車いすに座っていられるという状態だったので、リハビリを始めてもすぐに疲れて「寝たい」と言う。飲み込みのリハビリも、ゼリー状のものを一口飲み込むところからのスタートだった。

心を鬼にして励ます

 藤本さんも毎日病院に通ったが、さすがに「夫がかわいそう」と思うほどだったという。

「でもここでやらないと回復は望めません。心を鬼にして『頑張れ』と励ましました」

 2カ月のリハビリで、起き上がり、立ち上がることができるようになった。次は、装具と4点杖を使って、少しなら歩けるようになっていった。頭も少しずつクリアになり、会話の練習もできるようになった。

 そして、3カ所目の病院に移った。

 この病院の理学療法士(PT)が明るい女性だったのが幸いした。公男さんとウマが合ったのだ。公男さんは彼女を「親分」と呼んで打ち解け、楽しくリハビリができるようになると、見違えるほど回復した。

「冗談も言えるようになったんです。はじめ、『二度と自分の足では歩けない』と言われていたのが夫にもわかっていたようで、病院に行くとうなだれている姿を見ることもたびたびありました。それが、明るいPTさんに助けられたんだと思います」

 そうなると、退院して自宅で生活することも視野に入ってくる。まずは日帰りで一時帰宅し、PTの助言のもと、公男さんの動きを見て室内に手すりなどをつけた。次は1泊での帰宅にチャレンジ。無事クリアできたので、晴れて自宅に戻れることになった。倒れてから、半年。身体障害者1級としての生活の始まりでもあった。

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