[連載]ギャングスタのスターたち

死してなおヒットを飛ばす、孤高の天才・2パックの人生を振り返る

2014/10/10 19:00

[成功への道]

 「ギャングのトップと親交がある大男」として西海岸中のラッパーに恐れられていたシュグは、東海岸で「バッド・ボーイ・レコード」を立ち上げて時代の寵児だと持てはやされていたショーンに対して、一方的に敵対心を抱いていた。ショーンを叩きのめしたいと思っていたシュグは、知名度の高い2パックを利用して、東海岸と西海岸の間に抗争を起こせばショーンに大きなダメージを与えられ、なおかつ大量にレコードを売り上げることができると確信。シュグは服役している2パックにアプローチし、復讐心に燃えていた2パックはこの申し入れを受け、10月に出所した直後に3年間の契約を結んだ。

 2パックが釈放される2カ月前の8月。シュグは「ソースマガジン」主催の授賞式で、所属ラッパーのスヌープ・ドッグやドクター・ドレーと共にショーンたちに言いがかりをつけ、東海岸と西海岸は敵対しているという形を作った。9月にはシュグとショーンの取り巻きが口論となり、シュグのボディガード兼親友が銃殺される事件が発生。シュグはショーンが裏で企てたと激怒し、東海岸VS西海岸の抗争はヒートアップ。そこに出所した2パックが加わり、メディアやラップでB.I.G.をディスることで、「東海岸代表のB.I.G.VS西海岸代表の2パック」という形が確立されていった。

 2パック移籍後初のアルバム『All Eyez on Me』(96)は、ドレーをフィーチャリングさせた「California Love」が爆発的なヒットとなり、プラチナム認定を受けた。危険な男というイメージの2パックだったが、ドレーやスヌープら、デス・ロウの仲間とは兄弟のように信頼し合う仲に。しかし、金に汚く、積極的に犯罪に手を染めるシュグに対する不信感は次第に膨れ上がっていった。デス・ロウ以外にも自分の場所を持った方がよいと思ったのか、2パックは96年夏に映画を2本撮影している。ミッキー・ロークと共演したスリラーアクション映画『ハード・ブレット 仁義なき銃弾』と、ティム・ロスと共演したダークコメディ映画『Gridlock’d』で、後者は2パックにとって遺作となった。

 映画撮影後、2パックは再びデス・ロウのレコーディングに参加するが、プロデューサーを務めていたドレーがレーベルを離れ、シュグが法的問題を起こしまくっていたため、レコーディングは思うように進まなかった。この頃から、2パック自身もデス・ロウを離れようと思い始めたという説があり、そのためにラッパーを引退して俳優1本に絞ろうと考えていたとも伝えられている。

 96年9月7日、2パックはラスベガスで行われた友人マイク・タイソンの試合を観戦。その後、シュグが運転する車で別のイベント会場へと移動中に、横付けされたキャデラックからの銃弾を4発被弾した。緊急搬送されたが、6日後の13日の金曜日午後4時3分、母に看取られ死亡した。まだ25歳だった。

 2パックを銃殺した犯人は今なお捕まっていない。犯人に関してはさまざまな説があり、タイソンの試合観戦後に若い男と激しく口論しているのが目撃されていたことから、この男に殺されたという説。ギャングとつながりのあったシュグの抗争に巻き込まれたという説。シュグも被弾しているが、2パックのデス・ロウを辞めたいという意思を知り、殺害を計画したという説。ほかにも、“もっと大きな力”が動いていたという説があり、「銃殺された現場は40人ほどが目撃していたが、警察に証言すると申し出たのは1人だけ。しかも、警察が話を聞く前に、何者かによって殺されてしまった」という恐ろしい情報も流れている。

 司法解剖されている写真が流出したこともある2パックだが、実は「まだ生きている」という説もある。それは彼が生前、大量のラップをレコーディングし、死後、その未公開作品がアルバムとしてリリースされてきたからだ。死後10年の間に、6枚ものニューアルバムが発売され、全てのアルバムからヒットシングルが誕生するという偉業を成し遂げているのは2パックだけ。死後16年たった12年には、米野外音楽フェス「コーチェラ」で、大トリを務めたスヌープとドレーのステージに、2パックがホログラム映像として登場。気味悪いほどリアルにラップパフォーマンスをし、「本当は生きてるんじゃないか」と世間の度肝を抜いた。ほかにも、南米や欧州で目撃したというウワサが流れ、ファンの中には2パックはまだ生きていると本気で信じる者がいるのだ。

 09年、バチカンのローマ法王庁とその関連施設で流される公式音楽12曲が明らかになり、2パックの「Changes」が入っていたことに世間は驚愕した。公式音楽は言うまでもなく厳選されたもので、そのほとんどが宗教音楽やクラシックであり、ポップミュージックなどは含まれていないからだ。法王庁は、「選曲基準は人の良心に働きかける曲であること」とだけ説明。数多くのラッパーたちに多大なる影響を与え、今なお、世界中で多くの人たちから愛されている2パックが、「とうとう法王の心も動かした」とメディアは大々的に報じた。

 死後18年がたった今なお、絶大なる人気を誇り、タブロイドや芸能誌に特集される2パック。「息子の音楽を聞いてくれる人がいる限り、息子は生き続ける」という母親の言葉通り、彼は今なお多くの人々の心の中に生き、影響を与え続けているのである。まだ未公開のラップがあるとされており、今後どのような形でその作品が公開されるのか、ファンの心をときめかせている。

最終更新:2014/10/10 19:00
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