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ジャニー喜多川さん命日に偲ぶ

ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】

2022/07/09 17:00
松元優樹(まつもとゆうき)

 諦道先生は、1924〜34年まで10年間主監を務めました。その間に喜多川さんがやったことのひとつに、ものすごく大きなことがあります。それは「グループを作る」ということだったんです。

 まず、真っ先に手をつけたのは、諦道先生の主監就任時にすでに衰退していた「大師教会婦人会」を復興させることでした。なんと、喜多川先生は教会で料理講習会を開いたのです。当時、ロサンゼルス第一と言われていた料理人を招き、日本料理から西洋料理に至るまでを講習してくれるというので、あっという間に大人気となり、教会に入り切らないほどの盛況ぶりであったと聞いています。その上達した料理の腕前を披露したのが、日本海軍水兵さんたちへの歓迎・接待会でした。

 ロサンゼルスから南におよそ1時間のところに、サンペドロという港があります。そのサンペドロに日本からの軍艦が着く。軍艦が着くと、日系人はこぞって将校さんとか、いわゆる上の位の方々のお接待をしていました。

 でも、諦道先生は違いました。高野山の婦人会はペーペーの水兵さんたちを「いらっしゃい。お接待してあげますから、うちにいらっしゃい」と招待していました。だから、その昔、高野山は「水兵さんのお寺」といわれるほどでした。

 やがて、この高野山婦人会の奉仕活動は世間が知るところとなり、手伝いを申し出るご婦人方や食材を寄進してくれる人々も現れ、ロサンゼルス日系人社会では名物となっていったのです。この企画、立案、実行によって高野山婦人会が急速に充実していったことは言うまでもありません。

 また、「ボーイスカウト第379隊」の結成は諦道先生の大きな功績の一つです。大師教会には信徒の子弟を中心に、青年会、少女会、日曜学校がありましたが、折り目正しい生活と、強い倫理観、責任感を養い、かつ全世界共通の規律によって規制された人種差別のないボーイスカウトのスポンサーになろうと、諦道先生は決心したのです。この隊はのちに、米国中で最も優秀な活動だと選ばれて、アメリカ大統領に謁見をすることになります。

 そんなボーイスカウトの晴れ舞台は、2019年に美 少年(ジャニーズJr.)も出演した、リトルトーキョーのフェスティバル『ニ世ウィーク』(二世週日本祭)のパレードで先頭を行進すること。この行進は今でも続いているのです。諦道先生はボーイスカウト379隊の初代チャプレン(宗教的指導者)として名を残しています。

 このように、エンターテインメントや、団体を立ち上げこと、人を喜ばすことにものすごく頭の切れた方が、実はジャニーさんのお父さまだったのです。

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