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「男は性欲を抑えられない生き物」という性欲自然主義の捏造。暴力は「仕方ない」ものじゃない

2020/01/12 20:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

 「男の性欲は女とは違う」「男は浮気する生き物」「レイプされそうになった? 夜中に男の家にひとりで行った方が悪い」……こういった言説を聞いたことがない人はいますか。

 なぜ男性の性欲は「抑えられないもの」とされ、浮気や性犯罪は甘く見られるのでしょうか? 答えは簡単。一般的に、男性の方が女性よりも権力を持っているからです。権力者の比率は、圧倒的に男性のほうが多い、ということです。

 もし日本の政治家や法律家の女性比率が9割を超えていたら、痴漢は「迷惑防止条例違反」で済まないかもしれません。

 テレビ局の上層部を女性が占めていたら、お笑い芸人たちが「合コンでセックスできそうな女を捕まえたけど、逃げられそうになったので凍った鶏肉を投げつけた話」に手を叩いて笑う場面が全国放送で流れることはなかったのではないでしょうか。

 では「男が悪い」のか? そういうことではありません。暴力的な性のありかたが許容される“構造”に目を向けてみましょう。

「男はそういうものだから」は違う
 その“構造”を理解するのに役立つ一冊として、『ジェンダーとセクシュアリティ 現代社会に育つまなざし』(昭和堂・大越愛子/倉橋耕平ほか著)をあげます。

『ジェンダーとセクシュアリティ 現代社会に育つまなざし』(昭和堂・大越愛子/倉橋耕平ほか著)
 ここでは、「男性の性欲は抑制できないとし、性欲自然主義を捏造し、性暴力や性産業を肯定する言説は、問題を隠蔽するために作動している典型的な構造的暴力」だということが明確に述べられています。

 男性の性欲や暴力性というものは「男ってそういう生き物だから仕方ないよねー」という話ではなく、「男性側の権力によって、そういうものだと思い込まされてきたもの」であり、「構造的暴力だ」というわけです。

 性暴力だけではなく、経済的暴力、植民地暴力、戦争暴力、国家暴力、軍事暴力など、構造化された暴力はたくさんあります。近畿大学名誉教授の大越愛子さんをはじめとし、同書では様々な角度からこうした暴力に斬り込んでいます。

 構造的な暴力は、やっかいです。直接的に殴られるわけではなく、暴力をふるわれていると自覚しにくいものでもあるからです。

 でも、「男性の性欲は抑制できないのが普通」と考えてしまったら、性暴力被害にあったとき、加害者ではなく、被害者の自分自身を責めることにもなりかねません。

性暴力被害にあったとき、「自分が悪かったのかも」と考えてしまう理由
 先日、高校時代の友人A子から聞いた話です。

 A子は、お酒を飲むのが大好きで、バー巡りを趣味としています。一軒のいい感じのバーを見つけ、その店主である女性と仲良くなったA子は、彼女の夫・Xも近くで別のバーを経営していると聞き、そのバーにも行ってみることにしました。

 家から近いということもあって、A子はXの経営するバーにしばしば通うようになりました。そんなある日、A子が飲んでいたら、Xは店の閉店準備をし、自分も飲みはじめました。小さな飲食店では、よくあることかもしれません。

 店の外にクローズの札を出し、ふたりで飲みはじめたときも、A子はとくに疑問を抱かなかったといいます。しかしXは、突然、A子に抱きついてきました。A子は動揺して、「そういうつもり、まったくなかったんです」と言ったそうです。それに、「奥さんいますよね」とも。

 するとXは、「いるけど、自分、言わんやろ?」と笑って言ったそうです。A子は動揺し、取り繕ってその場をあとにし、その後、その店に通うことはなくなりました。

 A子は、「けっこうショックやってんけど。でも私も恋愛の話とかしちゃってたから、しょうがなかったんかなあ」と言っていました。

 ……いや、しょうがなくねえわ! 全然、しょうがなくない。店を閉めて、いきなり客の体触るって、普通にセクハラっていうか、性犯罪だから。怖くて抵抗できなくなる人もいるからね? なんなんその男! 私は憤りましたが、A子は「勘違いさせてしまった自分も悪かったのかも」と思ったとも言います。

 悪くないよ。A子イチミリも悪くない。そいつが悪い、という至極当たり前の話を私はA子に滔々と説きました。A子は、「そっか、そうやんね。ちょっと気が楽になったわ」と応えました。

 性暴力被害にあったのに、加害者じゃなくて自分を責める女性は少なくありません。なぜか。その一因に、「男性の性欲は抑制できないものなのだから、男性側に加害させないために女性側が自衛すべき」という言説が未だにそこら中に溢れていること、その価値観を知らずしらずのうちに内面化してしまっていることが、あるのではないでしょうか。

「男性の性欲はとても強い」という神話
 大越愛子さんは<「加害者に甘く被害者に厳しい社会」のあり方を問うという理論的作業は、自分の仕事だと思いさだめるようになった>としています。

 大越さんの生徒であった倉橋耕平さんは、日本では「慰安婦」「従軍慰安婦」と呼ばれる対象者が、国際社会では、「性奴隷」と表現されていることや、橋下徹氏の「風俗活用発言」(※1)に触れ、以下のように述べています。

<国際社会は、橋下がいうような、強制の有無を問題としていない、ということだ。女性を慰安所に監禁し、身体と生命の自由を奪い、「性的奉仕」を強制したことが問題であり、国家機関がそうした制度を公認のうえで運営した構造的な暴力を問題としている。<慰安婦>=公娼とする保守政治家も橋下も(そして<慰安婦>問題を否定したい少なくない女性を含めた国民も)、男性の性に関する神話を自明視し、「必要悪」と認識しているのは、女性の人権を蹂躙すること以外の何ものでもない>

 「居酒屋で男性にいきなり抱きつかれ、自分に非があったのではと考えてしまう女性」と、「慰安婦問題」は、すごくかけ離れた出来事のように思えます。ですが、「男性の性欲を抑えられないものとする神話」である「性欲自然主義」が根底にある、という点では、通底した問題をはらんでいるのではないか、と私は思います。

 「男性の性欲は抑えられないものである、という言説は神話にすぎない」と気がつくことができれば、性暴力は「仕方ないこと」ではなく、明確に犯罪であり、加害者側の罪であると認識することができます。

 そう認識できれば、「男の性欲は女とは違う。男は浮気する生き物」ではなく、「浮気する人は、男とか女とか関係なくするし、しない人はしない」という当たり前の事実に気がつくことができるはずです。

 「レイプされそうになった? 夜中に男の家にひとりで行った方が悪い」と被害者や被害にあった自分を責める視点は消え、「ミニスカ履いて夜中にひとりで男の家に行っていたとしても、レイプした奴が1億パー悪い。被害者にまったく非はない」と確信できるでしょう。

世界の見方を広げる
 『ジェンダーとセクシュアリティ 現代社会に育つまなざし』は、「男性の性欲神話」以外にも、既存の社会で「常識」とされているジェンダーにまつわる様々な事象に揺さぶりをかけてくれます。

 筆者のひとりである堀田義太郎さんは、「第7章 リベラリズムとフェミニズム ケアを誰がどのように担うべきか」において、こう述べています。

<どんな学問や知識についてもいえることかもしれないが、フェミニズムやリベラリズムも含めて、とくに「正しさ」や「望ましさ」「善さ」についてのさまざまな考え方や理論、思想や主張について学び・知ることは、私たち自身の世界の見方・価値観・生き方に密接に関わってくるはずである。それは、より広く深い視点でこの世界を見直して評価し、そして自らの生き方を善い方向に導くための「力」を得ることである>

 個人的には、マスメディアはまだまだ「男性の性欲は抑えられないもの」という神話に基づいたコンテンツをバラマキ続けていると思います(テレビのバラエティ番組などで特に顕著です)。また、ネットでも、性被害にあった女性の落ち度を叩く風潮は依然としてあります。そういった言説にモヤモヤしている人にもオススメの一冊です。

(※1)2015年5月、当時大阪市長だった橋下徹が述べた以下の発言が、世界中のメディアで取り上げられた。
「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命をかけて走っていくときに、どこかで休息させてあげようとおもったら慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる」
「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う。沖縄の普天間に行ったときに、司令官に『もっと風俗業を活用してほしい』と行った。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所はある。真正面から活用してもらはないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですか」

最終更新:2020/01/12 20:00
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