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【後編】DV加害者に必要な対話とは? 暴力的なコミュニケーションを肯定する「男らしさ」の“学び落とし”

2019/06/22 20:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

 男性性にまつわる研究をされている様々な先生に教えを乞いながら、我々男性の課題や問題点について自己省察を交えて考えていく当連載。5人目の先生としてお招きしたのは、ドメスティック・バイオレンスの問題にジェンダーの視点から取り組み、『ドメスティック・バイオレンスと家族の病理』(作品社)などの著書もある立命館大学大学院教授の中村正さんです。

 前編では、直接的な暴行に限らず、束縛や不機嫌な態度によって相手を萎縮させ、縛りつけようとすることも「DV」であると認識を広げたうえで、DVと「男らしさ」の関係を見てきました。では、その「男らしさ」は男性の中でどのように醸成されていくのでしょうか。

中村正(なかむら・ただし)
1958年生まれ。立命館大学教授。臨床社会学の視点から家族病理や社会病理の問題を研究。家庭内暴力の男性加害者へのサポート行う「男親塾」「メンズサポートルーム」を立ち上げるなど、日本における「加害者問題」の研究・対策に取り組んでいる。著書に『ドメスティック・バイオレンスと家族の病理』(作品社)、『治療的司法の実践』(第一法規)などがある。

暴力と競争と友情が紙一重な男同士の関係性
清田代表(以下、清田) ここまで(前編)、直接的な「殴る」「蹴る」だけでない様々な暴力の在り方や、暴力と「男らしさ」の関係、またDV男性の言い分に見られる暴力加害の「中和化」にまつわるお話をうかがいました。こういった男性の加害性に、男性自ら目を向けることはそれほど簡単なことではないように感じますが、そもそも中村先生は、どういった経緯で暴力と男性性の問題に関わられるようになったのでしょうか?

中村正(以下、中村) 元々は「男性同士の関係性」に抱いていた疑問から始まったものでした。その源流をたどると、小学生の頃までさかのぼります。5年生のときにマサルくんというクラスメイトがいて、彼は背が高くて勉強もスポーツもできて、おまけにいいやつという非の打ちどころがない男子だったんだけど、あるとき児童会の役員を決める選挙みたいなものがあり、私とマサルくんが立候補する流れになったんですね。そしたら彼は「いいよ、正くんにあげる!」と譲ってくれまして……そこで私は敗北感を抱き、彼との関係がなんとなくぎくしゃくしてしまったんです。

清田 ちょっとわかるような気がします。勝手に比べて勝手に負けたような気持ちになってしまうことってありますよね。

中村 嫉妬しちゃったりね(笑)。もちろん当時はジェンダーとかフェミニズムなんてものは知らなかったわけですが、私の中には体験的なレベルで「男同士の付き合いって難しいな」という感覚が芽生えたんです。自分のライフヒストリーを振り返ってみるとそれを感じるシーンは他にもたくさんあって、例えば小さい頃は4歳下の弟を相手に負けるはずのないケンカを繰り返していたり、あと、うちの父親は竹馬とか竹とんぼを作ってくれた自慢のオヤジだったんだけど、そのパワーを借りて友達に「すごいだろ」って自慢ばかりしていたり。

清田 虎の威を借る狐的な(笑)。そう言えば僕も、小学生のときはサッカークラブの先輩の威光を盾に調子に乗りまくっていたような気がします。

中村 また、友達のちんちんがとても気になり始めたり、性的な関心をどう収めていいのか悩んだり、好きな女子を直視できなかったり、そしてモデルでありライバルのような男友達とどう距離を保てばいいのかなど、苦しかった思春期の記憶があります。

 そんなことをいろいろ思い出す中で、「そういった男同士のコミュニケーションの中で知らず知らずの内に刷り込まれていくものとはなんだろう?」という疑問がわいたんです。明確に暴力とは言いにくいんだけど、競争なのか友情なのか暴力なのかよくわからない、まだ名づけられていない領域が、男同士の関係にはあるんじゃないか。暴力とコミュニケーションが紙一重な環境の中で、男子は自己形成をしていくんじゃないか。DVや虐待問題の根底には、そのような男性性の問題があるんじゃないか──。そんなことを考えるようになったんです。

清田 暴力が肯定的に捉えられる環境って確かにありますよね。僕が子どもの頃は「少年ジャンプ」の全盛期で、『ドラゴンボール』のようなバトル漫画や『ろくでなしブルース』のようなヤンキー漫画において、暴力はひどいものというよりむしろカッコいいものとして描かれていたし、中高6年間を過ごした男子校でも、教師からの体罰はわりと日常的に存在していて、しかもそれにビビるのはカッコ悪いという価値観すらありました。

中村 私の時代にも『あしたのジョー』や『巨人の星』といった作品があった。男の人生からすると、暴力って「当たり前に存在しているもの」だったりするんですよね。

清田 僕は19歳のとき、駅で4人組の男たちから暴行被害に遭いました。友達とホームを歩いていたらいきなり「金を出せ」って絡まれて、周囲に人がたくさんいたから大丈夫だろうと思って無視したら、わけもわからないうちにボッコボコにされ、鼻の骨を折られて血だらけになって救急車で運ばれまして……。でも、そのことを“恥”のように思う気持ちが抜けなくて、本当は思い出すたびに動悸がしてくるようなトラウマ体験のはずなのに、「5000円出せって言われて断ったらボコられて、結果的に病院で治療費25000円取られた(笑)」って、周囲には笑えるネタのように話していた時期が長年続きました。

中村 それは大変な経験でしたね……。でも、暴力を受けても「被害」と認められないのも男性に特徴的な傾向なんです。弱音を吐けなかったり、人によっては傷を乗り越えたことを“武勇伝”にしてしまうこともある。そういう中で、男性の暴力被害も見えづらくなっていくわけです。

清田 自分もまさにそんな感じだったと思います。

中村 デボラ・カメロンという言語学者が「ジェンダーは名詞ではなく動詞である」と言っているんだけど、男性にとって「男らしさ」とは行動の指針やシナリオとして機能している。そういった視点を導入しないと暴力の問題は解き得ないのではないかと考え、大学院時代に学んだ「臨床社会学」の立場から暴力と男性性の問題に取り組み始めたというのが今に至る流れです。当時はまだDV防止法も成立していない時代で、それを説明するための言葉が全然なかったので、様々な男性たちの話を聞いたり、自分の内面を掘り下げたりしながらワードを構築していくところからのスタートでした。

非対称な関係性に根ざした「関係コントロール型暴力」
清田 中村先生は著書『ドメスティック・バイオレンスと家族の病理』で、「親密な関係」に秘められた危険性について述べられていました。距離が近く、身体接触の機会も多く、精神的な一体感があり、自他の境界や認識が薄れていく──。そういう関係の中で暴力も発生しやすくなるという指摘でした。

中村 そうですね。夫婦や恋人だけでなく、親子や師弟、教師と生徒や上司と部下なんて関係もそこに含まれると思いますが、こういった非対称な関係性に根ざして立ち現れる暴力を私は「関係コントロール型暴力」と呼んでいます。ここで言う暴力はもちろん身体的なものだけでなく、心理的、感情的、言語的な暴力も含まれますが、それらを用いて被害者の心や身体、思考などをコントロールしようとするわけです。

清田 前編で先生が挙げてくれた暴力の事例、過剰な束縛や性の強要、避妊の拒否、暴言、無視、侮辱、自尊心を打ち砕く、自由を奪う、相手を孤立させる、責任の転嫁や放棄、監視、ストーキング、セカンドレイプ、マインドコントロール、プライバシーの暴露……いずれも、まさにそれですよね。

中村 こういったものの土台にあるのが男らしさの問題です。これまで述べてきたように、そこでは暴力が容易に肯定されるどころか、暴力によって自己を形成し、他者との関係を構築していく習慣すらある。男性にとって暴力は相手との境界線を越えるためのツールになり得てしまうんですよね。古くは殴り合って友情を深める男性たちの姿が映画や漫画にはよく描かれていたし、競い合いによって互いに切磋琢磨していくとか、あるいはイジりやからかいによって絆を確かめ合うといったコミュニケーション様式も極めて男性的です。

清田 DVやデートDVも、そういう男性的コミュニケーションの延長線上にあるというわけですね。僕も昔、ヘアスタイルをショートボブに変えた恋人に対して「ちんちんみたいな髪型だね〜」とからかい、泣かせてしまったことがあるのですが、思えばあれも一種のデートDVだったのかもしれません。

中村 どうしてそんなことを言ってしまったの?

清田 そのとき周囲には男友達も数人いて、彼女をイジって笑いを取ろうという意図があったんですが、心の奥底のほうでは、恋人の新しい髪型があまり好みの感じではなく、その感情が攻撃性のあるイジりとして発露してしまっていたのではないか……と今の話を聞いていて思い直しました。

中村 もしそうだとすると、清田さんの取った行動は一種の「関係コントロール型暴力」ということになるかもしれませんね。

清田 こういう「男らしさ」に根ざした加害性について、我々男性はどのように自覚することができるのでしょうか?

中村 もちろん「男らしさ」といってもその内実は多義的だし、当人の性質やそのときに置かれた状況、また相手との関係性や社会状況なども関係してくるため、「これをすれば暴力は防げる」という万能な対策があるわけではありません。しかし、私も関わっている「脱暴力のプログラム」など、加害者臨床の現場で培われた知見やノウハウは非常に役立つと考えています。それは「アンラーン(脱学習)」といって、暴力と結びつきそうな男らしさの習慣や思考、認知の癖などを“学び落としていく”というものです。

感情の言語化とパワーの適切な使い方
清田 暴力と結びつきそうな男らしさを「アンラーン」していくプログラムとは、具体的にどういったものになるのでしょうか。

中村 脱暴力の対策は「暴力のナラティブ」を取り出すところから始まるんですね。ナラティブとは「自己の物語化」といった意味の言葉ですが、当人がどういう認識の元に暴力行為に及んだのか、まずはそこを聞き取ります。前編で挙げた「中和化のロジック」などもそれですね。

清田 都合のいい言い訳とか、正当化のための理屈などを検証し、修正していくというイメージでしょうか。

中村 そうではあるのですが、例えば「認知の歪み」というような価値判断はせず、あくまでナラティブとしてそのまま取り出します。「歪み」という表現に対しては「正しい認知」「適切な認知」が想定されることになるわけですが、ここには正解のようなものが存在するわけではないので。そうやって当人の言い分を聞き取った上で、どうしてそう思ったのか、相手はそのときどんな気持ちだったと思うかなど、いろいろ質問を投げかけながらナラティブを耕していきます。

清田 自分の感情や思考様式について言語化していくわけですね。

中村 そういう対話の中で男性たちの「意識覚醒(コンシャスネス・レイジング)」を促します。ただし、男性にとって感情の言語化というのはなかなか難しいもので、まさに清田さんの被害体験のように、DV加害者たちも自分の行為をある種の「エピソード化」してしまっていて、それを解体するのに時間がかかるわけです。

清田 僕も「あのとき自分は怖かったんだ」「本当は今でも悔しい気持ちが拭えない」というようなことを自覚し、認めるまでにものすごく時間がかかりました。

中村 基本的にはグループワークを通じた語り合いの中で言語化を進めていくことが多いけど、読書で言葉を仕入れたり、あるいは自分の体験を芝居にするというアプローチもある。諸外国の刑務所では「プリズンシアター」といって、受刑者たちが自分の犯罪を演劇で表現し、みんなで評しあうというプログラムが実際にあったりします。言葉にならないから行動化してしまったわけで、そこを改めて言葉にしていくことはとても大切です。

清田 ひと口に「言語化」といっても様々な手法があるんですね。

中村 ただ、もちろん言葉にするのは大事なんだけど、今度は脱暴力のプロセスによって“腑抜け”になってしまう男性も一定数いるんです。彼らにとって暴力とはパワーそのものなんですよ。誰かを攻撃することによって自分を奮い立たせてきた人にとって、脱暴力は生きる力を奪われることにすらなりかねない。そういう男性たちに対しては、例えばボクシングのようなプログラムが有効だったりします。つまり「殴るならちゃんと殴れ」「弱い者には手を出すな」と、卑怯な暴力を責任あるパワーに組み替えていくアプローチですね。プロボクサー経験者などが指導に当たっているところも多く、効果もてきめんです。これを「リフレーミング」と言います。

清田 なるほど。感情を言葉にしていくことと、持っている力を適切に使えるようになることは、男らしさの問題を考える上で重要な両輪となるわけですね。

中村 今回は暴力と男性性にまつわる話が中心になりましたが、DVの問題で真っ先にケアされるべきはもちろん被害者です。近しい人から暴力被害に遭うと信頼や安心の基盤が壊れ、常に恐怖を感じながら日常生活を送ることになります。自分を責めてしまったり、過剰に加害者の世話を焼いてしまったりする人すらいます。暴力が相手を異常な事態に追い込む行為であることは、すべての人が理解しておくべきだと思います。

清田 中村先生は「地雷とともに暮らしているようだ」「卵の殻の上で生活しているようだ」というDV被害者の声も紹介されていましたが、日常を奪われるのって最も苦しいことですよね……。

中村 被害者の保護および支援は引き続き拡充されていくべきですが、一方で加害者への対策も同時に進めていくべきだと私は考えています。かつて「売春」を「買春」と言い換え、買う男の問題なのだと読み替えたように、暴力をジェンダーの視点から捉え直し、男らしさに関する問題として掘り下げていく。まだまだ未開拓な部分も多いけど、男が自分たちで言葉を作っていかなくてはならない。

 私はよく「ワード(word)がワールド(world)を作る」と言っています。言葉がないと現実を認識できないので。でも、既製品の言葉に頼ると単に男らしさワールドが再生産されるだけなので、これを破壊する創造的なワードが必要です。そのためにはまず、競争的・暴力的に陥らない男同士の関係を模索していくことが大切です。そういう意味では、清田さんたちがやっている男同士の恋バナも有用な試みだと感じています。

清田 確かにそうですね。恋バナが暴力抑止につながるとは思いもよりませんでしたが……これからも語り合いを通じて男性性の問題を考えていきたいと思います!

服装が冬……原稿まとめに時間がかかってしまってすいません!

『ドメスティック・バイオレンスと家族の病理』(作品社)

【当連載が清田代表の新刊に収録されます!】

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最終更新:2019/06/22 20:00

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