【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

寵愛した“巨根”男性を天皇に!? 公私混同で国民総スカンの「嫌われ女帝」とは【日本のアウト皇室史】

2019/08/10 17:00
堀江宏樹

母親の愛人を巡り、ドロドロの三角関係!?

堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

――前回、「女性天皇は退位後でも結婚や再婚をしない」と聞きましたが、孝謙さまも結婚をしなかったんですか?

堀江 そう。ただ、上皇になった孝謙さまが、天皇であることの重責から解き放たれ、大人しく表舞台から去っていったかというと、ぜんぜん違います。ちょうどこの頃、彼女を長年押さえつけてきた、“毒親”・光明皇后が亡くなります。すると孝謙さまは、母親の愛人であった藤原仲麻呂とドロドロの関係になり……。

――母と娘で一人の男性を共有って、なんだか一昔前の昼ドラみたいな世界観ですね。

堀江 まぁ、藤原仲麻呂との関係がどうだったかは、立証はできないんですけどね。その後、次第に孝謙さまと藤原仲麻呂との関係はうまくいかなくなり、さらには母親とその愛人の言いなりで即位させた淳仁天皇にも不満が膨らんでいきます。この頃、上皇として悩み、心身の調子を崩しがちだった孝謙さまは、僧侶・道鏡からケアを受けることに。この時代は医療が発達していなかったため、医師ではなく宗教者が医療的なケアも担当していたんです。道鏡は介護僧と言われていましたが、実際は体調を崩し弱気になっていた時に世話をしていた“だけ”の関係のようです。ただ、孝謙さまは道鏡に“特別な縁”をビビビと感じてしまったようですけどね。

――ネットで道鏡と検索すると、“巨根”など下半身ネタが出てくるのですが……。

堀江 その手の下ネタは有名ですが、実は全て後世の創作。「独身女性は欲求不満だから、大きいのがお好きなんでしょ」という、セクハラとモラハラから生まれた作り話です(苦笑)。ちなみに、中国唯一の女帝・則天武后(武則天)も、その手の巨根男子寵愛説がありますが、不自然なまでにアンチエイジングに勤しんでいた則天武后の場合は、もしかしたら本当かもしれません……。ただ、「巨根が好きな女」という創作は、中国や日本では“最低の侮蔑表現”だったことは確かです。儒教の道徳では、性に積極的な女は許されざる存在だからですねぇ。

――「皇族バッシング」ともとれる、「侮辱表現」はこの頃からあるんですね。

堀江 そうそう。皇族は“生き様”で自分が存在している価値を世間に問わねばならないんです。孝謙さまの女帝としての振る舞いの数々は、客観的に見てもあまりに強引すぎたので、嫌われたのでしょう。この後、詳しく説明しますが男性皇族に天皇の候補がいるのにもかかわらず、道鏡をなんとかしてでも天皇に即位させようとして、世間からの総スカンを食らったことも。また、道鏡への“寵愛”が原因で、藤原仲麻呂たちとの仲がこじれた際には、「私が最高権力者として政治を執る! 一番大事なことは私がやるから、淳仁天皇と藤原仲麻呂は雑務でもしておけばよい!」などと言い出したそうですよ。結局、藤原仲麻呂たちとはガチの戦争になりました……。

愛と欲望の世界史
歴史上の人物として聞く分には、孝謙天皇のような女帝もアリ
アクセスランキング