コラム
介護をめぐる家族・人間模様【第18話】

母に“会いに行く”ことを選んだ息子、「ボケるとも悪か事ばかりじゃなか」

2013/10/13 16:00

■「母に会いに行く」から描けた漫画

 しかし、温水洋一演じる喫茶店のマスターが「そんな、親を捨てるようなこと」とペコロスさんを責めたように、世間は「どうせ仕事もないんだったら、家で母親をちゃんと看てあげたらいいじゃないか。あなたを生んで育ててくれた、実のお母さんでしょう」と無責任に言ってしまうのだ。そう、他人は無責任。親戚だって無責任。そんな外野の声なんか放っておけばいい。

 ペコロスさんは、賢明な選択をした。だから、ミツエさんを題材にして漫画だって描けた。家で、認知症が進行するミツエさんと2人きりで向き合っていたら、きっと全然違うストーリーになっていただろう。いや、漫画にさえならなかっただろう。介護まっただなかにいると、自分と親を客観視することなんてできないから。私たちが、『ペコロスの母に会いに行く』を読んだり、映画を見たりして、時にクスリと笑いながら、涙を流せるのも、ペコロスさんがミツエさんをグループホームに入れてくれたおかげ、と言ってもいい。

 だから、介護が必要になったお母さんを、自分が仕事を辞めてしっかり介護しようと思っている息子がいたら、「親を施設に入れることは、全然親不孝じゃないよ」って言ってあげてほしい。「仕事を辞めちゃいけないよ」とも言ってほしい。お母さんがいなくなった後、どうするの? と。ただ、グループホームの料金は結構、高い。それに、グループホームの空室も、かなり少ない。問題は、そこかもしれない。それもまた、現実だ。

■ボケるのもそんなに悪いことじゃないかもしれない、と思えた

 最後に、映画の感想を少し。ペコロスとは、岡野さんのペンネーム。禿げあがった頭が、小さな玉ねぎのようなところから名前はきている。ペコロス頭で演じる岩松了も、母・ミツエを演じる赤木春恵も、漫画のイメージよりも大ぶりな体格だった。当然ながらそのせいではないが、コミックはジワっとくるものだったのに、映画は号泣ものだった。「泣けた」から、いい映画だというわけじゃないが、子どものように泣いた。長崎の風景も、長崎言葉も、さらに切なさを増す。クライマックスとなる舞台、ランタンフェスティバルの美しいこと。あの世とも、この世ともつかない幻想的な美しさ、と言ったらいいだろうか。コミックにも映画にも込められている「彼岸」と「此岸」、「昭和」と「今」が行き来する不思議な時間軸が、この舞台ならすんなりと納得できる。

 こうやって、亡くなった人たちと幸せな時間を過ごせるのなら、ペコロスさんが言うように、ボケるのもそんなに悪いことじゃないのかなと思ってしまう。それがこの作品のメッセージなら、大成功だ。懐かしい時代に戻って、懐かしい人たちに会えるなら、ボケてみたいもんだとさえ思う。それなら年を取ることも、ちっとも怖くない。

最終更新:2019/05/21 16:08
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