[連載]ギャングスタのスターたち

殺人事件、ポン引き、ポルノ映画監督……スヌープ・ライオンの数奇な人生

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いまやガッツ石松や具志堅用高なみの扱い!

――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!

【今回のレジェンド】
<殺人事件を契機にスターダムにのし上がった>

スヌープ・ライオン(旧ドッグ)

[生い立ち]

 スヌープ・ライオン(旧ドッグ)は、1971年10月20日、本名カルバン・ブローダスとして、カリフォルニア州ロングビーチに生まれた。勲章を持つベトナム帰還兵である父は、スヌープが生まれる前に母と別れたため、母子家庭で育った。スヌープは学校では問題児だったが、三兄弟の次男として母を助けたいと思う気持ちが強く、新聞やキャンディーを売り、生計を助ける心優しい子だった。母はそんな彼を、スヌーピーに似ているとして「スヌープ」と呼び、かわいがった。5歳で教会の聖歌隊に入り、ピアノを弾くようになったスヌープは、音楽を愛するようになる。また、音楽と同じくらい祖父のことが大好きで、「じいちゃんと一緒にいたいから、よく学校をサボった」と告白している。

 カリフォルニアのロングビーチというと海岸沿いの町というイメージがあるが、内陸はギャングの抗争が絶えず治安が悪い。祖父は、孫たちをギャングと接触させないようにと必死だった。しかし、スヌープが13歳の時に祖父は他界。教会に通うのをやめ、地元アメフトチームに属し、うっぷんをスポーツで晴らそうとしたスヌープは、チームメイトが次々とギャングに染まっていったことに影響され、15歳でギャングの一員になる。「スポーツ選手か、ミュージシャンか、ギャングメンバーか、それしかなかったからね。ごく自然にギャング入りしたよ」と彼は回想している。なお、10年後、アメフトのチームメイトの半分は服役中か、殺害されているかという状態だったという。

 ギャングに入り、新聞配達で週50ドル(約5,000円)を稼ぐという生活から、ドラッグを売り、週1,000ドル(約10万円)稼ぐ生活を送るようになったスヌープ。妻となるシャンテ・テイラーとの出会いの場でもある、ロングビーチ・ポリ・テクニック高校ではバスケの選手として活躍し、昼休みに披露するラップで人気を博した。幼児期から教会で音楽に親しんでいたスヌープは、ラップのセンスも抜群だったとのこと。小学6年生の頃からストリートでのフリースタイルで勝負していたため、高校の頃には相当の腕前になっていたのだ。

 89年6月に無事高校を卒業したが、その1カ月後に覆面警官に麻薬を売って逮捕されてしまう。これを皮切りに薬物絡みで複数回捕まり、91年まで刑務所に入ったり出たりの荒れた生活を送った。刑務所でもラップで人気者となったスヌープに、囚人仲間たちは「20ドル(約2,000円)やるから、オレたちのラップを書いてくれよ」と頼んだ。スヌープは、彼らの「もうこんなところに戻ってくるな。ラップの才能があるんだから、それを生かせ」というメッセージを真剣に受け止め、プロのラッパーになる決意を固めた。

[キャリア初期]

 出所後、従兄のネイト・ドッグ、友人のウォーレン・Gと共に「213」というグループを結成したスヌープは、「スヌープ・ドギー・ドッグ」と名乗り、デモテープを作成。ウォーレンはデモテープを異父兄弟で、ラッパー/プロデューサーとして活動していたドクター・ドレーに聞かせたところ、ドレーはスヌープの才能に感動。自分のファーストアルバム『クロニック』(92)に出演オファーをした。

どこからツッコんでいいのかわからない人生

しぃちゃん

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