海外
親の功罪はとてつもなく大きい……

ジャスティン・ビーバー、『モダン・ファミリー』人気女優も……“毒親”に苦しんだセレブたち

2022/08/01 21:00
堀川樹里(ライター)

母との関係に苦しんだブルック・シールズ(写真:Getty Images)

 イタリア貴族の血を引く実業家の父親と、女優だった母親テリー・シールズとの間に誕生したブルック・シールズ。父方の祖父はアマチュアテニス選手で俳優としても活動した著名人フランク・シールズだったが、テリーは妊娠が発覚した時、フランクから中絶するようにと金を渡されたと暴露している。



 テリーは、金は受け取ったものの、中絶せずにブルックを出産。美しい娘をエンターテインメントの世界で働かせることにした。生後11カ月で“”肌にやさしい”がキャッチフレーズのアイボリー石けんのCMに出演し、子どもモデルとして成功を収めると、テリーは子役スターにしようと決心。まだ12歳だったブルックを“富裕層向けの幼女娼婦たち”を描いた『プリティ・ベビー』(1978)に主演させた。

 テリーは同作で娘を主演させた理由を、「無邪気さとセクシーな顔を持つ(娘の)魅力的な美しさを最大限に引き出せると思ったから」と説明したが、世間からは「金のために娘の性を売った」「最低なステージママ」と大バッシングされた。



 同作でヌードを披露したブルックだったが、これが初のヌード仕事ではなかった。幼女のヌードばかりを集めた「プレイボーイ」の幼女版アダルト誌「Sugar and Spice」で、10歳にして挑発的なオールヌード撮影をしていたのだ。マネジャーであるテリーが引き受けたこのヌード撮影で、ブルックに支払われたギャラはわずか450ドル(約6万円)だった。この写真の存在が世間に広く知られるようになると、「10歳の娘を脱がせるなんて!」とテリーへの批判が強まった。

 撮影をした写真家のギャリー・グロスも、ブルックが女優として成功を収めてからも事あるごとにこのヌード写真を使い続けて裁判沙汰にもなり、無名時代のヌード撮影は大きなリスクだと世に知らしめることに。



 その後、ブルックは『青い珊瑚礁』(80)『エンドレス・ラブ』(81)など若い性を描いた映画に立て続けに主演し、次第に演技力が認められるように。ドラッグや酒に溺れることなく、学業も怠らず、名門プリンストン大学に進学した。



 20代になると、ブルックは自分でキャリアをコントロールするようになり、テリーと衝突。94年に米紙「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューで、子どもの頃からテリーがアルコール依存症だったこと、「私はケアラーで、事態を改善しなくちゃと頑張ってきた。そう言われ続けてきたから、ずっとそうしてきた」と母を支えるために仕事を頑張ってきたと激白した。



 娘を思い通りにできなくなったテリーは、「ブルックは何を言っているのかわかっていない」と批判したが、その後の彼女のキャリアは好調。テリーは晩年、認知症を発症し、12年に79歳で亡くなった。



 母の死の2年後、ブルックは自叙伝『There Was a Little Girl: The Real Story of My Mother and Me (Dutton), in order to tell』を出版。『プリティ・ベビー』は、母が芸術的に良しとし出演を決めたもので、「私はナイーブで無邪気な子どもだった。ロリータそのものだった。自分のセクシュアリティを理解するほど早熟な子どもでもなかった」と説明。決して幼い性を売りにしていたわけではなかったと、母をかばった。


【インスタグラム】

https://www.instagram.com/p/CRHTrnMDtYu/
(13歳の時)

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