『ザ・ノンフィクション』レビュー

『ザ・ノンフィクション』人の死を待つ移植待機患者の葛藤「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」

2020/11/16 17:22
石徹白未亜(ライター)

闘病の困難さとは「病気そのものを治すこと」だけではない

 私事だが足の指を骨折し治療中だ。足の指の骨折と拡張型心筋症は病気のレベルが全く違うが、医師から、骨折した部位は抵抗力が弱まっており、さまざまなものに感染しやすいから清潔にしておくようにと言われた。

 病気、ケガになると「患部を元の状態に回復させる」という主目的以外に、「抵抗力が落ちたことでの二次感染を防ぐ」という二つのケアが必要になる。今回の番組を見ていて、病気そのものの困難さだけでなく、二次感染、そして二次被害の困難さ、大変さを思った。

 二次被害とは平澤がVADとの刺入部から菌に感染したようなことだけではなく、「病気とは直接的に関係ないトラブル」も含まれる。

 友子は夫・平澤と2人暮らしだったが、平澤がVADを入れて以来、夫の両親と同居している。ただでさえ、義両親と暮らすことを歓迎する嫁は少ないはずだ。さらに平澤は長期入院中であり、義両親との関係はギクシャクしていき、最終的には同居解消になる。

 一方、容子は息子が小学校6年のときに拡張型心筋症を発症する。それまで野球少年の息子のためボリューム満点のお弁当を作っていたのだが、容子の病状は年々悪化し、病院で過ごす日々の方が長くなっていく。

 なお、容子の娘は「ママに何かあったらどうしよう」といつも部屋で泣いていて、小学校3年頃から中3まで不登校だったという。容子は「ほかのことは『ごめんなさい』でどうにか通してきたけれども、あぁこの子(娘)の一日一日は今しかないなぁ、と思うと……」と、娘のそばで生活できないことへの思いを話す。

 4人兄弟の長女で病気前は音楽教室を開くなど、見るからに面倒見がよさそうな容子が、闘病のために自分の子どもたちと共に過ごせない無念を思うと切ない。病気は病気そのものの困難さだけでなく、病気に伴うさまざまな困難を本人と家族に引き連れてくる。

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