[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

大ヒット韓国映画『新感染』『半島』のヨン・サンホ監督作! 清濁併せ持つ信仰心を描いた話題作『フェイク~我は神なり』

2020/07/31 19:00
崔盛旭

『フェイク~我は神なり』なぜ「自称イエス」などのバカげた話に騙されるのか?

<物語>
 ダムの建設予定地で、水没の危機にある田舎の村に、プレハブの教会が建てられる。この教会の長老であるチェ・ギョンソク(声:クォン・ヘヒョ)は、牧師のソン・チョル(オ・ジョンセ)と共に病人を治癒するなどの詐欺を働いて村人を信じ込ませ、水没の補償金を騙し取ろうする。一方、外地から村に帰ってきたキム・ミンチョル(ヤン・イクチュン)は、娘のヨンソン(パク・ヒボン)の貯金を奪い、賭博に費やしてしまう。

 ひょんなことから、チェ長老が実は指名手配中の詐欺師だと知ったミンチョルは、この事実を警察や村人に知らせようとするが、乱暴者のミンチョルを信じる者は誰もおらず、むしろミンチョルは悪魔呼ばわりされる。妻や娘にすら信じてもらえず暴力を加速させるミンチョルは、自分の正しさを証明しようとするが、チェ長老の口車に乗せられたヨンソンが行方不明になると、事態はますます破局へと向かっていく。

 本作の原題は『사이비(似而非)』という。似而非(エセ)とは「同じように見えて実はまったく違う偽者」という意味。韓国では「似而非宗教」や「似而非教祖」、「似而非メディア」といった具合に偽者(物)を批判するときによく使われるため、この言葉にはすでに犯罪の意味が込められており、本作同様、宗教との関連で語られる場合が多い。

 先述したように、ほとんどがプロテスタント系教団である「似而非宗教」を端的に物語る概念が、「再臨イエス」である。イエスが再び現世に降りてきて非信者たちを地獄に陥れるという、キリスト教の信仰のひとつだ。

 ところが、そんな「再臨イエス」を名乗る者が「新天地」のイ・マンヒも含めて韓国には50人近くもいるといわれる。それぞれ都合よく聖書を解釈し、自らをイエスに仕立て上げているのだ。当然、彼らは正統派プロテスタントから「似而非」に指定され、排除されているわけだが、だとすれば、韓国にはなぜこんなにも自称イエスが多いのだろうか? そして、どうしてそんなバカげた話に大の大人たちがまんまと騙され、彼らに従って貢いでいるのだろうか?

 人間の宗教的心理を探るのは容易ではないが、長い歴史を通して積み上げられてきた韓国での宗教の変容や様相を通して、集団としての韓国人の宗教心理を考えてみると、漢陽(ハニャン)大学教授の民俗学者キム・ヨンドク氏が著書『韓国の風俗史』(1994)の中で述べている「祈福信仰」という概念が、ひとつのキーワードとなりそうだ。

フェイク〜我は神なり
韓国の宗教観、キリスト解釈は興味深い
アクセスランキング