[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

大ヒット韓国映画『新感染』『半島』のヨン・サンホ監督作! 清濁併せ持つ信仰心を描いた話題作『フェイク~我は神なり』

2020/07/31 19:00
崔盛旭

『フェイク~我は神なり』韓国の土着信仰と相性の良かった、キリスト教の教理

 キム教授によれば、朝鮮半島では古代から「天」を崇拝する土着信仰があり、その儀式は「天にあらゆる福を求める」ものが中心だった。それが「祈福信仰」として民間に根を下ろしたのだという。その後、外来宗教の仏教や儒教が支配層に受け入れられ、民間信仰は弾圧されたりもしたが、消えることなく、むしろ外来宗教と結合して祈福信仰を浸透させてきた。

 これは近世になって流入したキリスト教との関係においても同じで、とりわけ「信じれば奇跡が起こる」と、イエスが起こす数々の奇跡と共に直接話法で説教するキリスト教の教理と、祈福信仰の伝統が類似していることから、抵抗なく受け入れられ、韓国で拡大し、今に至っているのだ。

 キム教授は、聖書の「神」を、韓国では「天」を意味する「하늘(ハヌル)」にちなんで「하느님(ハヌニム)」や「 하나님(ハナニム)」と呼んでいるのは、天に祈福してきた土着信仰の影響であると主張する。

 本作にも表れているが、韓国の牧師や信者たちのお祈りは、その語尾が「~해 주십시오(~してください)」という“求める形”に、ほぼ定型化していることがわかる。「病気を治してください」「合格させてください」「長生きさせてください」というように。これこそが「祈福信仰」にほかならない。実際にかなうかどうかは別として、切実に求める心に、少なくとも希望という安らぎを与えることは間違いないだろう。

 半面、本作でのチェ長老やソン牧師のように、こうした人間の弱みにうまくつけ込んで、宗教の名の下に騙し、危害を加える「再臨イエス=似而非」が生まれやすいのも事実だし、現に社会に弊害を及ぼしてもいる。ちなみに、本作でチェ長老の言う、神によって天国に呼ばれるという「14万4,000人」は、聖書で実際に言及されている数字であり、再臨イエスたちは主にこれを利用して金などを騙し取っているといわれる。その限定枠の中に入るためには金が必要だというわけだ。

 人はなぜ宗教を必要とするのか? 本作に登場する村人たちは、心のどこかに罪悪感を抱いていたり、病魔に襲われたり、不幸な家族関係によって人生を狂わせたりしている。そんな村人たちに「心のよりどころ」があるというのは、どれほど幸せなことだろうか。

 それを求める切実さを利用して欲望を満たそうとするチェ長老らは言うまでもなく許せない悪だが、彼らがインチキだと暴くことも、村人たちにとっては、ある意味では暴力といえるのではないだろうか。「“ウソ”をつく善(と見られるもの)」と、「“真実”を暴く悪(にされるもの)」。村人が前者を選択したのは、暴くことの暴力性を示す隠喩なのかもしれない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2022/11/14 15:15
フェイク〜我は神なり
韓国の宗教観、キリスト解釈は興味深い
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