インタビュー【後編】

西武・そごうとシャネル――「女性の生きづらさからの脱却」を描くCMを比較して見えてくるモノ

2019/02/22 17:30
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman
西武・そごう「わたしは、私。」公式サイトより

 前編では、昨年末から今年にかけて立て続けに炎上した「内閣府のセクハラ防止啓発ポスター」「菅公学生服の防犯啓蒙ポスター」の問題点について、大妻女子大学准教授・田中東子先生に解説いただいた。後編では、新年早々物議を醸した、西武・そごう「わたしは、私。」広告について話をお聞きした。

(前編はこちら)

西武・そごうCMの問題点を紐解く

――新年に、安藤サクラさんが登場する、西武・そごうの「わたしは、私。」広告が新聞広告とムービーで公開され、炎上しました。女性が四方八方からパイを投げつけられ、笑いながら倒れるのですが、最後はそのクリームを拭い取るという様子が描かれています。そこには、「女の時代、なんていらない? 女だから、強要される。女だから、無視される。女だから、減点される。女であることの生きづらさが報道され、そのたびに、『女の時代』は遠ざかる。今年はいよいよ、時代が変わる。本当ですか。期待していいのでしょうか。活躍だ、進出だともてはやされるだけの『女の時代』なら、永久に来なくていいと私たちは思う。時代の中心に、男も女もない。わたしは、私に生まれたことを讃えたい。来るべきなのは、一人ひとりがつくる、『私の時代』だ。そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。わたしは、私。」というコピーが添えられており、ネット上では、「何を伝えたいコピーなの?」「女性を侮辱しているようにしか見えない」と批判が飛び交いました。

田中東子先生(以下、田中) この西武・そごうの広告を見たとき、「女性の生きづらさからの脱却」を表現したかったのだと思ったのですが、その表現方法が問題だと感じました。2017年に公開された「ガブリエル シャネル」の新作香水のCMが、同じテーマを描いていて、私の周りでは「かっこいい」と評判が良かったのですが、シャネルのCMと比較すると、西武・そごうの問題点が明らかになるのではないでしょうか。

――シャネルのCMとは、具体的にどのような内容なのでしょうか。

田中 シャネルのCMは、蜘蛛の巣のようなものに捕らえられている女性が目を覚ますシーンから始まります。この蜘蛛の巣は、女性に対する社会の攻撃やしがらみを表しているのでしょう。そこから女性が自分の力で光の方に走り出し、途中で蜘蛛の糸が体に巻き付いて倒れそうになるものの、それでも踏ん張って前に進み、蜘蛛の糸を断ち切る。そして壁をぶち破って外の世界に出ると、そこは広野で、地平線に朝日が見えるという内容なのです。

 一方、西武・そごうのCMを見てみると、飛んでくるパイが、女性に対する社会の攻撃やしがらみと言えます。パイを投げつけられた女性は倒れてしまい、しかも顔や体を汚されたままの状態でCMが終わる。シャネルCMのように、薄暗く狭い世界から明るく広い世界に飛び出していくといった場面が明確に変わるシーンもなく、最初から最後まで同じ空間に居続けるんです。つまりこれは、女性は社会から束縛されたまま生きていく、社会は何も変わらない、ただただ「女性が強くあれ」ということしか描かれていない。それに……このパイが、精液にしか見えないなぁとも思いましたね。

――シャネルと西武・そごうのCMを比較すると、確かに何にモヤモヤしていたのかがよくわかりました。

田中 西武・そごうのCM見た人全員が、いま私が分析したようなことを考えていたわけではないでしょうが、やはり無意識のうちに「社会の側は変わらない」のに、「女性は傷つけられたまま強く生きていきなさい」というメッセージを読み取ったからこそ、不快感を覚えたのだと思います。

――なぜ同じテーマなのに、人に与える印象がこうもガラリと変わるのでしょうか。

田中 CMを作るときには、企画書に「現状、何が課題になっているのか」を盛り込むと思うのですが、日本で広告制作を行う人はもしかすると課題分析力が乏しいのかもしれないですね。課題を読み違えているから、その解決策が不快なものとしてCMに表れてしまうということです。ジェンダーの文法をきちんと学んでいない人が、CM制作に携わっているのかもしれません。前編でも触れましたが、海外の大学ではもっとジェンダー系の授業が多いものなのですが、日本の大学の場合、女子大ではジェンダー学が盛んなものの、共学の大学ではあまり教えていないなぁと感じますね。

 今は、ジェンダーをめぐる表現が炎上していますが、今後、外国人労働者が増えていくと、人種をめぐる表現が問題視されるようになっていくと予想しています。いま欧米の大学では、ジェンダーだけでなく、人種やエスニシティの問題についてしっかりと学ぶことが人文社会科学の課題になっているんですが、日本ではまだまだ。専門的に研究している方はたくさんいらっしゃるのですが、大学や高校などで十分に教えているかというと、そこは乖離している印象です。

――ただ、今こうしてCMが炎上すること自体が、社会に変化が訪れようにとしている証しに見えます。

田中 そうですよね。多文化的でリベラルな教育を受ける若い世代が増えてきているからこそ、CMの作り手……特に、CM内容の最終決定権を持つ世代とのギャップが生じて、炎上という現象につながっているのでしょう。今、アラフォー世代の上か下かで、ジェンダーに関する考え方や教育の水準がまったく異なってきていて、それが、CM炎上が多発する背景になっているのではないでしょうか。

出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ
炎上を消費するだけ消費してそれで終わりにはしたくない!
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