「タレント本という名の経典」

女優・鈴木砂羽、「男前」の称賛に隠された、男への甘えと母からの赦し

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『女優激場』/ワニブックス

――タレント本。それは教祖というべきタレントと信者(=ファン)をつなぐ“経典”。その中にはどんな教えが書かれ、ファンは何に心酔していくのか。そこから、現代の縮図が見えてくる……。

 「男前な女」「豪快な女」。近年、本来なら男性に対して使う言葉で女性を褒めることが定着しつつある。「山賊のように酒を飲み、イノシシのように恋に突き進み、時にクレイジーにハッチャケている」自らをこう表する女優・鈴木砂羽も「男前」ポジションの1人と言えよう。

 日本初のヘアヌードで映画デビュー。以降、映画や舞台で演技派として活躍、近年はバラエティにも進出している。端正な顔から想像できない「豪快」「サバサバ」エピソードで人気を博している鈴木砂羽の初エッセイ『女優激場』(ワニブックス)は、「男前な女」の秘密が濃縮された1冊である。

 「嘘がつけない」「媚びることができない」と鈴木は自己分析する。水商売をすれば、客に「アンタみたいなオヤジに媚びへつらうなんて大嫌い」と暴言を浴びせ、オーディションでは着飾らずに、着なれたTシャツとジーンズで臨む。審査員である巨匠・アラーキーこと荒木経惟に「君はさっきから人生に不満があるような顔をしているけれど、いつもそんなふてぶてしい顔をしているのか」と聞かれ、「不満なんてありませんよ。ふてぶてしい? そんなこと今まで誰にも一度も言われたことないですけどね」と答える。

 何物にも縛られたくない鈴木は、豪快エピソードにも事欠かない。大酒を飲んだ翌日、寝過ごして飛行機に乗り遅れ、ヘリコプターをチャーターしてもらってドラマの撮影に向かう。タクシーの中で恋人と口げんかになり、彼氏の顔にグーパンチを喰らわせたところ、車中から放り投げられるが、走り去るタクシーを追いかけ、しまいには男に手刀で殴られる……。

 本書に登場するこれらの劇画チックなエピソードは笑いを誘うが、見落としてはならないことがある。それは、鈴木が常に男に支えられ、守られているということである。

 ヘリチャーター事件の大遅刻の際、待たせた俳優は「やっちゃったなぁ」と笑い、男性脚本家は「ヘリを出させちゃったんだってぇ?」とニヤニヤしていたと鈴木は書く。無罪判決を出す評議員が男性なのがミソである。そもそも鈴木の周りは男性ばかりで、付き人まで男性と徹底しているという(多くの女優の付き人は女性だそうだ)。タクシーの中でのケンカも、最初に暴力に訴えたのは鈴木であるが「男が女を殴ったら大問題だが、女が男を殴っても本気でやり返されない」という「甘え」が透けて見える。

 事実、鈴木は自らを「甘え戦士」という名の甘え上手であると書いている。媚びない態度が許されるのは、彼女が甘え上手であることに請うている。高い甘えスキルを持たない者がこの戦法を取れば、単なる空気の読めない厄介者になってしまう。

 鈴木の代表作である映画『しあわせカモン』は、脚本にほれ込んで引き受けた仕事だったそうだが、製作費の関係で鈴木が最重要だと思っていたシーンが削られ、そのまま撮影終了となってしまったという。納得のいかない鈴木は、記念の花束の受け取りを拒否。所属事務所の会長と食事をした際、この映画の話をすると、会長は「砂羽が正しい」と事務所を上げての尽力を約束。再び撮影にこぎつけ、映画祭でグランプリを受賞するわけだが、社会的地位の高い人にピンチを助けてもらうというのは、「男前」路線というより、むしろおとぎ話の系譜にも思える。そう、男言葉で褒められる女性こそ、女濃度が特濃であり、かつ男転がしの上級者なのである。

 ところで「男前な女」にとって最も重要な条件とは何だろうか。答えは「モテる」ことである。「男前な女」とは、外見は女らしくエレガントで、内面は女性の欠点とされる陰湿なところがない、つまり、男と女の美点を両方兼ね備えたパーフェクトな女性という意味である。恋の気配のない女は「男前な女」ではなく「男みたいな女」で「サバサバ」ではなく「バサバサ」である。10歳年下の役者と結婚した鈴木は、この点も完全にクリアしている。夫は知名度も収入も下だが、仕事が減ったり、失恋したりと一時不運だった時に、「あなたは最高の女優だ」といつも励ましてくれたそうだ。夫は最初から結婚したがっていたが、鈴木がしぶっていたというのもいい。若い男に一途に愛される女としての魅力と、相手の経済力なんて気にしないところが、「豪快」だと更なる支持を集めることだろう。

 「口先だけで謝れない」「自分が引き下がることができない」という鈴木は、結婚向きでないようにも思えるが、実はこの結婚はうまく物々交換ができている。経済力と出産願望がある鈴木にとっては、夫の仕事が少ないことは好都合。鈴木が生活スタイルを変えずに稼ぎ、夫が家事育児をすればよいのだ。

 一般の社会においても、最近では鈴木のように女性が大幅に年上の結婚スタイルが増えている。筆者の知人が、40代を目前に8歳年下の男性と結婚した。男性の母親は「高齢出産になる人なんて」と反対したが、男性は押し切った。結婚して初めて夫の実家で迎えるお正月、知人は台所仕事をせずに、大好きなビールを飲んで、コタツで大の字で寝てしまったと笑っていた。年上妻は夫にまめまめしく世話を焼くイメージがあるが、年の差妻ほど自分のスタイルを変えようとしないように思われる。男性の年下婚で特徴的なのは、夫ではなく、実は妻の方なのである。

 本書で語られるエピソードすべてにおいて、鈴木は常にはしゃいでいる。「私、すごいでしょ。お茶目でしょ。面白いでしょ。非凡でしょ」と、行間から高い自己評価がだだ漏れしているのだ。生涯に渡っての人間の基本的自己評価を司るのは母親の役目だが、その母について、鈴木は多くのページを割いて愛と苦しみを告白している。

 鈴木の母は「一人の人間として」「表現者として」「対等に」鈴木を褒めて育てた「絶大なる味方」。上下関係というより、娘の熱烈なファンとも言える。母親の喜ぶ顔がみたいあまり、鈴木は無意識に母親の嫌がりそうなことを避ける。その最たるものが、結婚であった。母親の喜ばない相手であることは明白で、すげない態度を取られて鈴木は落ち込むが、夫の仲介により最終的には母親にも祝福してもらえたという。

 鈴木の母のように、娘の行動を(自分の好みの範囲であれば)応援する母もいれば、愛ゆえにあれはダメこれもダメと規範を重視して安定した道を行かせようとする母親もいる。こういった母親を表現するのに、中村うさぎが『愚者の道』(角川書店)にまつわるインタビューで用いた「私にとって父親は裁く神、母親は赦す神だった」を拝借したい。「赦す」とは許可を与えることでなく、何をしてもどんなことになっても存在そのものを受け入れることである。鈴木の母は「赦す神」であり、規範押し付けタイプは「裁く神」である。「裁く神」である母に育てられた娘たちにとって、すべての行動は裁かれる対象である。これでいいのだろうか、もっと何かしないといけないのではないだろうかと、回し車のリスのようにくるくる気をまわし、「赦す神」である母に育てられた娘は、鈍さを蓄える。鈴木の夫も「赦す男」である。鈴木の結婚は、「赦す神」が母親から夫に移行したことを意味する。前述したコタツで大の字妻は、日常の家事分担は別として、お正月に夫の実家で家事をすることが「いい嫁」である認識はあっただろう。しかし、したくないんだからしないと、鈍さを奮ったのである。

「富めるものはますます富み、貧しき者は持っているわずかな物すら取り上げられる」

 聖書の言葉にして、資本主義の大原則は、愛においても当てはまる。どれだけ愛される努力をしても「裁きの神」が内在している女は愛されず、「赦しの神」を宿す女は自分を変えずとも愛される。オンナを決定づけるのは、顔でも年でもない。心の中にいる神なのである。
(仁科友里)

西原理恵子もこのタイプ!

しぃちゃん

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