【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!

『皇室アルバム』カメラマンの証言から読み解く!“メディアと皇族”関係性悪化の歴史

2023/06/17 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

――テレビ好き、映画好きで知られる昭和天皇。とくに晩年、天皇の身辺に仕えていた侍従の卜部亮吾さんが「陛下(=昭和天皇)は皇室アルバムの大変熱心な視聴者であられ、都合で観られない時にはビデオにとって必ずご覧になっている」(「天皇一家を60年記録する民放番組『皇室アルバム』制作者が語る、時代とともに変わる皇室とメディアの距離感」/「ORICON NEWS」2019年3月14日)と公言するほどでした。そもそも『皇室アルバム』(TBS系)とは、いったいどのような方々の手で、作られている番組なのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江)一貫して毎日新聞社の子会社である「毎日映画社」で制作されています。もともと宮内庁のOBが始めた会社などというわけでもなければ、名門出の子弟・子女が集う会社というわけでもなさそうですね。

――ちょっと意外ですね。

堀江 同社が『皇室アルバム』を請け負うようになった経緯は公表されていませんが、昭和45年(1970年)から、カメラマンとして制作に携わっておられる大谷丕昭(おおたに・ひろあき)さんの証言が過去に何度か雑誌やテレビ番組の中で紹介されています。

 平成2年(1990年)の雑誌記事によると、この時点で「入社二十年目」と紹介されている大谷さんの経歴の詳細は書かれていないものの、昭和23年(1948年)生まれであろうと想像されます(「ご成婚スペシャル おめでとう 秋篠宮さま・紀子さま」/「サンデー毎日」1990年7月15日号)。大学を卒業してすぐに毎日映画社に入社なさって、その後、ずっと『皇室アルバム』にかかわってきたので、皇室の方々との距離感がきわめて近いのですね。

 例えば秋篠宮さまはご成人までは「礼宮さま」と呼ばれていらしたのですけれど、大谷さんは「アヤちゃん」と呼ぶほどの“親しさ”でした。時には、セパタクローという当時の日本ではあまり知られていなかった競技を、秋篠宮さまから誘われて大谷さんもプレーしたこともあったそうです。

 撮影中にも秋篠宮さまが「大谷さん、久しぶりです。お元気でしたか」などと話しかけながら近づいてくることもあったそうで、それはさすがに「何も足さない、何も引かない」姿勢で皇族方を取材する『皇室アルバム』の撮影基準でも、残念ながらボツ映像になってしまったとのこと。

――逆に特ダネだった気もしますが……。秋篠宮さまと長年親交がある記者として、江森敬治さんが『秋篠宮』(小学館)などのご著書をまとめられましたが、それ以上の深い話が大谷さんからは引き出せそうですよね。

堀江 実際、秋篠宮さまが紀子さまに熱烈な恋をしていたとき、すでに大谷さんは「宮さまの結婚相手はこの女性だ」とピンと来ていたそうです。会話の端々に「紀子ちゃん、紀子ちゃん」という名が出てきたと大谷さんはおっしゃるのですが、そんなことがわかってしまうほど、秋篠宮さまはずっとカメラを回されている、つまり現在の“リアリティショー”を先取りするような環境でお育ちになったということかもしれません。

 しかし、当時はメディアのほうが……あるいは『皇室アルバム』の毎日映画社という会社の品格なのかもしれませんが、婚約発表まで公表は慎もうという態度で接しておられたそうです。

――メディア側が、現在では考えられないような、紳士的な対応を見せていたのですね!

堀江 先日、とある雑誌で秋篠宮家を秘密主義だとする記事が出たようですが、少なくとも平成初期の秋篠宮さまは「お兄さま(現・天皇陛下)の皇太子さまなら、決してしないような、そんなこと(=カメラマンにも親しげな反応)をされる方です」とありますので、最近は取材者としてのメディア側、もしくは皇族がたの両方に大きな変化があったのでしょうね。

BSの皇室番組は昼帯で見やすいわ!
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