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ジャニー喜多川さん命日に偲ぶ

ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】

2022/07/09 17:00
松元優樹(まつもとゆうき)

 今ここは「高野山米国別院」という名前で、「米国大師教会」時代から名称と建物が変わっていますけれども、新しいお堂を作ろうというムーブメントを起こしたのも喜多川先生です。

 諦道先生を中心に多くの人たちが集まってくるので、お堂が狭くなってどうにもならなくなりました。折りしも米国大師教会の地主であった会社から立ち退きを命じられ、ほかの場所へ移らなくてはならない事態が起こったのです。そして、このリトルトーキョーのど真ん中に土地を求めることになり、そして今「高野山米国別院」というのがここに建っているわけです。

 さて、喜多川先生がいよいよ日本に帰ることになると、ものすごい活躍をした方だけに、当然地元の日系人からは惜しまれるわけです。「まだ帰らないでくれ」という署名運動も起こり、アメリカの日系人の新聞「羅府新報」に「温情開教師喜多川師出発。誰からも持たれし親しみ」というタイトルのもとに10年間に及ぶ師の開教生活を讃える記事が新聞に載ったくらい、帰国が悲しまれたそうです。

 記事には、「大師教会開教師喜多川諦道師は愈々明日午後四時出帆の秩父丸に乗船,家族同伴帰朝の途に上る事になった。(中略)大師教会の事業は,救済,社会矯風,教育凡百の方面に亘って居るが,水兵の歓迎,困窮者の救助,下町方面の諸問題の解決等謂はば侠客的な潜行運動が多く,それは喜多川開教師の温情主義から発生した救民衆生済度で,在留同胞の実情からして無くてはならない一つの社会運動であった。従って個人的にでも団体的にでも同師の世話を受けた者は少なくない。今回の帰朝に際しても協会員は勿論一般同胞からも惜しまれて,引き止め運動なども起きたが事情止むなく,故国の教化界に入って活動することになったのである」(原文ママ)と載っています。

 そして、喜多川さんは日系人社会から感謝状をもらって、秩父丸という船で、昭和8年(1933年)8月26日に長く住み慣れたロサンゼルスに数々の思い出を残して日本に帰ることになりました。

 ここに、「高野山米国別院五十年史」というのがあります。その中に、喜多川諦道先生については、何ページにもわたって功績がつづられ、記録が残っています。

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