[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』は“男性社会”を可視化する――制度だけでは足りない「見えない差別」の提示

2020/10/23 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『82年生まれ、キム・ジヨン』

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 2016年、韓国のインターネット上では2つの大きな出来事を背景に、前代未聞ともいえる激しい「男女の対立」が巻き起こった。ひとつは、ソウルの江南(カンナム)駅近くのトイレで、女子大生が面識のない男に殺害された「江南駅トイレ殺人事件」。女性のみを無差別に狙い、犯人が実際に「女なら誰でもよかった」と供述したこの事件は、ソウルに暮らす多くの女性を震え上がらせ、同時に激しい憤りを呼び起こした。犯人は極度の被害妄想に取りつかれ、精神病を患っていたとはいえ、事件によって韓国社会に依然はびこる女性への差別や蔑視、それを社会が無意識に実践するゆがんだ一面が改めて浮き彫りになった。

 駅周辺には若い女性たちが集まって被害者を追悼し、性差別や不平等、女性嫌悪を糾弾する集会を開き、その様子はSNSで拡散され大きな広がりを生んだが、周辺では男性たちによるバッシングが絶えず、集会自体を妨害して警察が出動する事態にまで発展した。男女間をめぐる問題に真摯に取り組もうとする人もいたものの、男女対決の様相は次第にエスカレートし、ネット上で不特定多数の男女が互いを罵倒し合う無意味な喧嘩が毎日のように繰り広げられていた。

 そこへ、まるで火に油を注ぐかのように登場したのが、小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)である。30代の平凡な女性の日常を通して、女性たちが置かれている韓国社会の抑圧構造を、報告書を連想させる客観的な文体で書きつづったこの小説は、韓国で100万部を超えるベストセラーとなり、幅広い読者の共感を集めて社会現象にまでなった。

 何より、日本ではいまひとつ盛り上がりに欠けた「#MeToo運動」が、韓国ではこの小説の出現によって大いに触発され、それまで社会的地位の高いところにいた人物たちが次々と引きずり下ろされていったり、女性差別やフェミニズムを見直そうとする声が上がったりと、大きな収穫があった。

 だが一方で、女性より優位な立場を当たり前のように享受してきた韓国の男性たちは、危機感を募らせたのか、ますます感情的になり「差別だというなら女も軍隊に行け!」といった愚かなヒステリーを爆発させて、男女間の対立は再び高まることとなったのである。

 今回のコラムで取り上げるのは、韓国国内のみならず、日本をはじめ世界各国で翻訳され人気を集めた同名小説の映画化『82年生まれ、キム・ジヨン』(キム・ドヨン監督、2019)。原作の出版から3年を経ての製作となったが、相変わらず韓国では公開後に映画レビューサイトで男性観客が「1点」を、女性観客が「10点満点」をつける非難合戦が繰り返され、メディアは「男性観客による点数テロ」と報道する始末だった。主役を演じたチョン・ユミやコン・ユまでもがバッシングの対象になるなど、韓国における“フェミニズム”はどうしても「男性対女性の対立」に位置づけられてしまいがちだ。

 だが、そんな中で本作(小説も)は、男性中心に成り立っている社会の構造を可視化させ、男性だけでなく女性までもが無意識に受け入れてきた、この非対称性に気づかせるきっかけを与えてくれたという意味において、一過性のブームに終わらない真の「フェミニズム映画(文学)」といえるだろう。コラムでは、映画が提示している女性をめぐる問題を大きく2つの点から取り上げ、韓国社会のひずみを明らかにしていきたい。

82年生まれ、キム・ジヨン
この機会に原作もぜひ
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