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実家に帰ったら専業主婦の姉がDV被害者になっていた~女性の中のミソジニー

2020/01/03 20:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

 先日、旅行ついでに実家に数日滞在していたのですが、そこで衝撃的な話を聞かされることになりました。

 端的に言うと、姉がDVの被害者になっていたのです。

髪の毛を引っ張られ、夜中外に放り出された
 私の姉は27歳で結婚し、勤めていた銀行を退社、主婦になりました。30代半ばに妊娠するまではアパレルでアルバイトをしていましたが、妊娠をきっかけに仕事を辞め、今は専業主婦として✕歳児の子育てをしています。

 姉の夫は銀行員で、最年少で支店長に抜擢されたワーカホリック。私は最初に会ったときの彼の言動から、彼が「俺についてこいタイプ・亭主関白憧れタイプ」っぽく見えたため、「話は面白い人だけど、ちょっと苦手なタイプかも」と思っていました(しかし義兄は会うたびにハーゲンダッツをくれるので、「ハーゲンダッツくれる人に悪い人はいないはず」とも……ハーゲンダッツをくれるDV加害者はいるのですね)。

 ごく最近まで、姉の結婚相手に対しては「ちょっとお酒が好き過ぎるけど、働き者でしっかりした人」というイメージでした。でも、今月帰省したときに、彼がアル中だったという事実を知ることになりました。

 母から聞かされた話によると、「これまで2回、酔っぱらって暴言を吐かれたことから夫婦で大げんかになり、ご近所に通報されて警察が来たことがあった」「数カ月前、髪の毛を引っ張られるなどの暴力(このときが身体的な暴力は初めて)を受け、夜中に外に出されてお酒を買ってくるように要求されるという事件があった」とのこと。

 姉は暴力を受けた直後、警察に連絡。警察はすぐに駆けつけてくれて、「この場で逮捕することもできる」という差し迫った場面にまでいったそうです。ですが、まだ子どもが小さいことや、離婚する覚悟が決まっていないことから、姉は逮捕を望みませんでした。

 私はこの事実を聞かされて、「なんで酔っ払っていたとはいえ、彼はお姉ちゃんに暴言を吐いたり、髪の毛をひっぱったりできたんだろう」と疑問でした。アル中だから? アルコールがそうさせた?

 でも彼がいくら酔っていたとしても、勤める会社の社長の髪の毛を掴んだり暴言を吐いたりは絶対にしなかったはずです。なぜ姉にはそういった扱いができたのかというと、結局のところ「姉を下に見ている」からではないか――。

姉を下に見ている夫と、下の存在でいたい姉
 義兄は「姉を下に見ている」から、暴言や暴力をふるったのだろう、と思うと同時に、「下に見ることができる存在(自分が上の立場に立つことができる相手)」だからこそ結婚相手に選んだのかもしれない、とも思いました。

 そして姉自身もまた、「自分より上の立場にいてくれる相手(自分より稼いでいて、頼り甲斐のある男性)」だからこそ、彼の妻になることを選んだのだと思います。

 独身時代の姉は、「契約社員が合コンにいたらテンションが下がる」「しっかり稼げて安定した職業の人がいい。公務員がベスト」「初デートで割り勘にされたら、二度目はない」など、「稼げる男性・養えるだけの収入がある男性」でなければ相手にしないことを明言していました。

 姉は自分がバリバリ稼ぐ気は毛頭なく、それよりも家事をして家族のサポート役になりたいと考えていたのです。また、「30歳以上の女性はどんな人でも需要がなくなる。女は30までに結婚するべき」という思想の持ち主でもありました。

 姉と義兄は出会って二カ月で婚約し、一年以内に挙式、入籍をしました。ベストマッチだったのです。「対等な関係なんて最初から求めていない」という点で、ふたりの価値観はぴったりでした。

 専業主婦(夫)は労働と切り離された存在ではなく、家事や育児という無給の労働に従事する存在です。外で働いて賃金を稼いでくる人の方が偉いというわけではありません。ですが、家庭内においては「賃金を稼いでいる方」の権力が強くなりがちです。なぜなら、家事労働は無給であり、稼いでいる方から別れを告げられれば、稼いでいない方は生活していくことが難しくなるからです。そのため、「離婚したいけど、生活のために我慢して結婚生活を続けなければならない」という事態にも陥ってしまいます。

 姉は、夫から暴力を受け実家に帰省した後、「これからどうやって生活していくか」を考えざるを得ない状況になりました。保育士、介護士、看護師、歯科衛生士などの資格をとるべきか……と、姉は考え始めました。

女性の中のミソジニー
 姉は、自分の価値観と近い人と出会って、愛し合い、結婚したはずです。それなのになぜ、愛した人から暴力や暴言を受けることになり、経済力のまったくない状態で途方にくれることになってしまったのでしょうか?

 暴力をふるう義兄が悪いことは確かです。しかしそんな義兄だからこそ、姉は惹かれた。そこに、「姉の中の無自覚なミソジニー」を私は感じるのです。ミソジニーが姉自身を苦しめているのではないか、と。

 ミソジニーとは、女性蔑視のことです。今回は、上野千鶴子さんがさまざまなミソジニーについて丁寧に解説している書籍『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日新聞出版)をご紹介します。

『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日新聞出版)
 同書では、ミソジニーについて、<ミソジニーとは、男にとっては女性蔑視、女にとっては自己嫌悪の代名詞である>と定義しています。

 姉はよく、「女性は30歳を過ぎたら価値が低くなる」という主張をしていました。「30超えたらモテなくなるし、20代のうちに結婚しなければならない」とも言っていました。「若い女の方が、絶対的に価値が高い」という女性蔑視的な思想を内面化していたのです。

 この「女性は30超えたら価値が低くなる」発言は、姉自身が30代になってからも続きました。なぜ、わざわざ自分の価値が年齢とともに低くなるなんて言いたがるのでしょうか?

 また、姉は自分よりも学歴や収入が下の男性を、恋愛や結婚の対象としては見ていませんでした。出会ってすぐの義兄と結婚したのは、相性が良かったのもあるでしょうが、「30歳になって女としての価値が下がる前に、自分を庇護してくれるくらいの経済力を持った男と結婚したい」という思いもあったでしょう。冒頭に記しましたが、当時、姉は27歳でした。

 『女ぎらい ニッポンのミソジニー』から引用します。

<もしほんとうに「対等な関係」を求めていたら、女は年上の男や長身の男や地位や学歴の高い男などのぞまないだろう。「わたし、尊敬できる男の人しか愛せないの」というのは、「男に従属したい」という欲望のあらわれだし、「若くてかわいい女の子にしか萌えないんだ」という男は、自分の手におえる「支配と所有の対象」にしか性的欲望を感じないと告白しているだけのことだ。>

 男性と対等な関係を望まず、見上げられる相手を望むことも、その女性の“個人の自由”かもしれません。けれど、内側にミソジニーが隠れていることには自覚的であったほうがいいのではないでしょうか。

ハイリスクな結婚
 姉のようなパートナー選びをする女性は、まれでしょうか。私はそうは思いません。それに、そうして幸せに生活している人ももちろんいます。姉も最近までは問題なく幸せに生活できていました。役割を分担し、自分が誰かをサポートする側であることや、引っ張ってくれる・大黒柱になってくれる存在がいることは、姉にとって「楽」であったはずです。

 でも、暴力や暴言を受けながら生活することは「楽」ではありません。そのうえ「もうこの人とは別れたい」と思ったとしても、夫婦の関係が対等ではないゆえ別れることができない、という弊害もあります。

 今回の姉の件で言えば、姉には実家がありますから、そこで子育てしたり、新しい仕事を探したり、といったことは可能です。ただし、立て直しができるのは、実家というセーフティーネットがあったからにすぎず、もし実家がなければ(あるいは実家との折り合いが悪ければ)、夫の暴言・暴力に耐えながら生活せざるを得なかったかもしれません。

 幸せな結婚だったはずが、一転してリスクを負ってしまう。これを回避するために女性が取り得る自衛策として、まず非対称な関係性によるリスクを自覚し、「自分より下の存在しか恋愛対象にしない」相手はパートナーに選ばない、という方法があります。

 女性を「格下」扱いしていることがあからさまな男性(「お前呼びする男性」「イジリと見せかけて、バカだよなー、などのディスりをしてくる男性」など)を避ければ、わかりやすくミソジニーの激しい男性は避けることができるでしょう。

 また、私は「自分はフェミニストですよ」「男女差別は許せません」という言動を全面に出す方法で、リスク回避中です。こうしておくと、あからさまなミソジニー男性は近づいてきません。義兄のような男性は、フェミニストを自称する女性を恋愛対象にしようとは間違っても思わないはずです。

 でも、そもそもリスクを自覚していなかったら。そういう男性のミソジニーにも、自分自身のミソジニーにも、気づくことがなかったら。

ミソジニーは、あらゆる場面にある。まずは知ること
 自分の中のミソジニーが強ければ、どうしたってミソジニー男性を引き寄せてしまいます。そしてフェミニストを自称している私自身も、ミソジニー的な価値観を内面化していることに気付く瞬間は頻繁にあるのです。

 たとえば、男性に対して「男のくせにしっかりしろよ!」とか思っちゃうとき。男がしっかりで女はゆるふわ、ってそのイメージおかしいから……女性蔑視であり、男性への重圧ですよね。でも無意識に思っちゃうことが、あるのです。

 上野千鶴子さんは、<わたしはミソジニーがあまりに深く埋め込まれた世界で生まれ育ったために、それがない世界について想像することができません>と述べ、日本には、皇室や婚活、DV、モテなど、あらゆる場面にミソジニーが存在し、あまりにも自然であるため、それがミソジニーであることに多くの人は気がついていない、と指摘しています。

 まずは当たり前を疑い、そこにあるミソジニーに気がつくことが、ジェンダー平等の第一歩だと言えるでしょう。

義兄に『女ぎらい ニッポンのミソジニー』を読んでほしい
 姉は数カ月実家に滞在し、離婚を考えていました。

 しかし、義兄がこれまで否定し続けていた自身のアルコール中毒を認め病院に通い始めたこと、断酒のための薬を飲みこの数カ月お酒を絶っていること、誠意ある謝罪があったことなどから、離婚はひとまずしないことにしたようです。姉は、義兄の購入した家に戻っていきました。

 めでたし、めでたし……とは、まだ思えません。姉夫婦の間に上下関係があることは変わらず、姉は義兄の稼ぎで生活していきます。でも姉は、事件以前のように、義兄のサポートをし育児する生活を、「楽」だと感じることができるでしょうか。

 ふたりが共通して内面化しているミソジニーに気がつき、固定した上下関係に縛られない、本当の意味で楽な関係が築けるなら……これはお節介かもしれないけれど、『女ぎらい ニッポンのミソジニー』を読んでもらいたいと思います。義兄と姉に勧めても、読んでもらえなそうですが……。

 『女ぎらい ニッポンのミソジニー』は、矛盾やツッコミどころもある本(※)ではありますが、社会に蔓延している様々なミソジニーに焦点を当てています。張り巡らされたミソジニーに自覚的になることは、自分自身を見つめ直す良い機会になります。

 (※)「性と愛はべつべつのものであり、性が愛を随伴することもあれば、そうでないこともある」「性欲・性行為・性関係は、厳密に区別されなければならない」と書いたそばから、「好きでもない男に股を拡げるな」と書くなど、矛盾が見られる。

最終更新:2020/01/03 20:00
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