子宮摘出手術をひとりで受けて、ひとりで退院する。解決すべき課題と医療の進歩

前回は夢子がなんとか子宮摘出手術の予約をもぎ取り、それを祝う子宮摘出パーティを開いてもらったところまで語ったな。

 手術すること自体が決まったのはもちろん、病院が決まって俺はホッとした。それさえ決まれば、無駄な悩みが減るからだ。夢子のやつ、手術は怖くないらしいんだが、入院に関しては必要ないことまであれこれ心配していた。

 入院が決まる前から夢子が恐怖していたことの中でも、代表格は”同室の入院患者にいじめられるのではないか”ということだった。夢子は収入が少ないので、一番リーズナブル価格である大部屋に入院する。5人くらいはルームメイトがいるのだろうか? 夢子には恐怖でしかなかった。やつには根拠のない確信があった。

(私は、同室のレディースに、いじめられる)

 入院関連の不安としては、思い悩んでもどうにもならないことNo.1だとわかってはいても、夢子はクヨクヨし続けた。

 夢子はもともと、1日のうち数時間はひとりっきりで過ごさないと情緒不安定になる体質だ。これは鬱とは関係ない。あまり知られていないかもしれないが、そういう体質の人間は社会に一定数、存在する。生まれついた脳の仕組みでそうなるらしい。

 そんな体質の者であっても、人と交流することは可能だ。ただ、夢子は半年に及ぶ病院探しで弱体化していると自覚していた。普段の体質に輪をかけて内向的傾向が強くなっている上に、鬱やパニックが出やすくなっている。それなのに24時間、人間と共同生活が送れるわけがない。この考えはまだ理解できるんだが、一足跳びに「いじめられる」と思ってしまうのはちょっとアレだなぁ。ま、コンディションがよくないってことだな。

◎快適な入院生活が送れるパジャマとは?

 もう少し具体的な懸案事項もあった。寝間着である。

 入院の時は、看護師さんが患者のケアをしやすいよう前開きのパジャマ、もしくは浴衣のようなものでないといけないという。夢子は前開きのパジャマを持っていない。そういえば、近年そういうタイプのものをあまり見かけない気がする。資金も乏しいことだしネットで安く買おうと、入院先が決まる前からパジャマを検索していた。しかし前開きで低価格なパジャマはほとんどなかった。ボタン代が上乗せされ割高になるからか、安いパジャマは全部スウェットのような形をしている。不況はこんなところにも影響を及ぼすのか。

 ネットショップヘビーユーザーの夢子宅には、頻繁に宅配便配達がある。昨今では、朝早くや寝る間際の配達は珍しくない。そういう場合、ひとり暮らしでは寝間着のまま荷物を受け取ることになる。配達員にパジャマパジャマした格好で応対するのはさすがに気が引けるのだが、お手頃かつ前開きなものは花柄やフリルがついていて「どうも! パジャマのままです!」という主張が強い。

 買ったものを入院の時にだけ着るのは、お金がもったいない。シンプルかつ前開きで安いパジャマはないのか! と探してもシンプルであればあるほど1万円以上する。この現象はパジャマ・パラドックスとでも言うべきか。検索し始めてから4時間くらいは平気で過ぎていた。成果なしである。

◎手術後にすぐ洗濯できるのか?

 この件はいったん脇に置こうと決めるも、違う心配が立ち上がってくる。ブラジャー問題である。ノーブラのパジャマ姿で洗面所に行く際に、乳首が透けてしまうのはイヤだった。だがせっかくパジャマを前開きにしても、その下に着けているブラが後ろ開きでは意味がない。とすると、ブラも前開きのものを購入するべきか? 恐る恐る検索しても想像通りだ。こちらは軽く1万円くらいはする。気がつくと検索を始めてからすでに6時間くらいは経過していた。

 ダメだこいつ、不安すぎて完全に正気を失っている。Googleは不安を解消してはくれないぞ!

 パジャマ、ブラなどについてひとしきり思いを馳せれば避けて通れないのは、そう、洗濯案件である。仮にパジャマとブラを調達できたとしよう。高額だからそれぞれ1セットのみだ。しかし手術後、出血やその他体液で着ているものは思いのほか汚れるかもしれない。入院は2週間の予定だが、洗濯なしで過ごすのは無理なのでは。

 ご存じの通り、夢子には身寄りがない。洗濯もすべてセルフだ。コインランドリーはあるような気がする。だが、手術後すぐにランドリーする気力が自分にあるだろうか。

(あっても、パジャマ1組と下着だけ洗って乾燥するのはお金がもったいないなぁ。あっ、洗濯中は何を着ればいいの? なるべく出費は減らしたいけど、やっぱ1セットずつじゃ無理……?  ああっ私にお金さえあれば!)

 夢子の悩みは尽きない。そこで気づいたが、自分の不安の本質はパジャマやブラのことではなく、お金のことなのかもしれない。パジャマもブラもこれ以上検索しても仕方ない。

そう考えるも、心配事は休むことなく心に去来する。

 夢子が住んでいるのはアパートの2階だ。エレベータなどなく、部屋へと続く急勾配の階段は暗く狭い。コンクリートを流し込んだだけのそれは、俺たちには凶器でしかない代物だ。体調不良だとなんでもない段差でもつまづくものだ。それは夢子も多々経験しているし、すでにこの階段からも何度か落っこちている。今のところ骨折せずに済んでいるので自身の骨密度に感謝する日々だが、手術後はどうだろう? 退院後の落ちた筋力で、この違法建築ぎりぎりの階段を自力で登ることは果たして可能なのか。

 夢子は身震いした。やつの脳裏では今、階段から落ちたまま動けず冷たいコンクリートに横たわる蒼白な女と、地面にゆっくり広がる紅色のコントラストの見事な動画が絶賛上映中だ。それが終わると別アングルでもう一回、お次はばっちりスローモーションで……などと動画はさまざまなバリエーションで展開していく。

◎「親族がいない問題」をどうするか

 脳内ムービーで現実逃避しても、重大な問題がまだ残っている。先ほども言ったように、夢子には頼れる者はいない。そもそもそんな人間でも手術・入院させてもらえるのだろうか?

 支配的かつ虐待的な両親とは物理的・精神的な距離を置かないかぎり、自分の生活が崩壊してしまうので連絡を絶っている。入院のために彼らと再び繋がりを持つつもりはない。

 手術中の緊急事態に備え、親族などが病院で待機する慣習があることを、夢子は漫画で読んで知っていた。やつは人生に役立つ知識はだいたい漫画から得ている。もし「手術中待機係」が絶対必要ならば、便利屋さんにでもお願いするしかないと思った。相場は1時間6000円。手術中ずっと待機してもらうとなると高額になるから、本気でイヤだが仕方ない。

「待機係」案件はこのようにクリアできたとしても、さらに気がかりなのが「親族による同意書サイン」問題だった。

 以前読んだ漫画『グーグーだって猫である』(大島由美子)には、大きな女性科疾患を患った未婚の主人公が入院と手術を経た後、治療を続けながら営む日常生活が描かれている。90年代に描かれた本作では、主人公の手術の際、遠くに住む親戚に出向いてもらって同意のサインをしてもらわなければならなかった。「この制度はなんとかならないのか」と書いてあったと記憶している。

◎入院中のQOLは心配なさそう!

 入院先が決まってしまえば、着るものやコインランドリーの値段、同意書サインの件などは、病院に聞けば済む。パジャマ等々の件でハゲそうなほど気をもんでいた夢子の精神的負担も、少しは軽くなるだろう。

 問い合わせの結果、病院には寝間着とタオルのレンタル制度があることが判明した。レンタルは平日のみ、1日数百円とのこと。夢子の入院期間のうち、平日は10日ほどだ。毎日レンタルしても合計5000~6000円、前開きのパジャマを1着買うより安いではないか。これなら洗濯する元気がなくても大丈夫、コインランドリー代まで浮く! すばらしい制度だ!

 しかも写真で見ると、パジャマの前身ごろは甚平のように二重になっている。これならブラなしでも乳首は透けない! 前開きのブラも買わなくて済む!

 きっと自分だけではなく、これまでに入院した多くの人たちも、パジャマやブラ、洗濯問題に頭を悩ませてきたのだろう。そんな人々が病院に意見を言ってくれたから、このように便利な制度が今は存在するのだ。先人のみなさん、ありがとう。入院前の不安を抱えていたのは、私ひとりじゃなかった、そう思うと、少し心強かった。

 もうひとつ気がかりなことがあった。子宮内膜症などの手術の際、Rを投与する病院が少なからずあると聞いていた。10年ほど前に提案され、最近でもピルの代替薬として勧められたが断ったあのRだ。

 Rのせいで骨量が低下したところにアパートの階段から落ちたら、今度こそ骨折してしまう可能性大だ。ひとり暮らしの女性が骨折から寝たきりになり孤独死する、この国に蔓延するケースに自分がなるかどうかの瀬戸際である。入院の予約を取る際に、医師にこういった。

「私は鬱ですし、ひとり暮らしで骨量低下もすごく心配なので、手術前のRはなしでお願いできませんか」

 恐怖から夢子の眉間にはくっきりとしわが刻まれていた。事前の検診で、医師はすでに子宮の動きを確認していた。これなら内視鏡で摘出できるし、卵巣も腫れていないからきっと複雑な手術にはならないだろうという結果だった。医師は言った。

「そうですか……癒着もありませんし、ご本人がRなしを希望するということでしたらなしにしましょう」

 こりゃ、言ってよかったなぁ、おい! 話のわかる先生でよかったぜ。しかし、何も言わなかったらやっぱりRを投与されていたのか。そう考えるとちょっと怖いな。

◎長年ピルを服用してきた甲斐が!

 癒着がないと言われた時、夢子は誇らしさに胸がはちきれそうだった。

(そりゃそうよ、腹腔内の炎症や癒着を最小限に留めるため、私は10年以上も前から根性で毎日ピルを服用してきたんですもの!)

 子宮内膜症の治療薬としては未認可だった昔から、地を這い泥水をすする思いでピルを確保し、家族を含めた周囲にバレないよう服用してきた。その積年の努力は、今日という日を迎えるためにあったんだ。この瞬間、これまでの苦労が報われたようで夢子はじーんと感動していた。

 手術の予約の時には、付き添いが必要か否かもまっさきに確認した。

「私は身寄りがないので、手術中に待機してくれる付き添い人はいません。手術同意書にサインしてくれる者もいないのですが、大丈夫でしょうか」

「いるにこしたことはないのですが、無理な場合はいなくても大丈夫ですよ」

 医師は手術同意書親戚の署名・押印の欄に、鉛筆でさっと×印を書き込んでくれた。

(ありがたい、病院の制度が進化して未婚・身寄りのない者にも優しい制度になっている!)

 夢子は心底ほっとしながら署名捺印した。医療が10年前とあまり変わっていない、と憤慨したことは記憶に新しいが、変化している点もあってよかったなぁ。

◎人生と体のコントロールを取り戻す

 とはいえ、「何かがあった際の緊急連絡先は必要」とのことだった。

「友人に重荷を背負わせることはしたくないので、もし手術中に何かがあっても私は病院の判断に従います。手術中に死んだ場合のこともすべて委ねます。だからこの連絡先は形式的に書き込むだけにさせてください」

 夢子は何度も念を押してから、友人・キャリーの携帯番号を書類に書き込んだ。

「死んだ場合」と夢子が言った時、医師は少し困った顔をした。こんな時に口にするにはたしかに縁起でもないことかもしれないが、自分のような独り者が死に関して意思を明確にしないままでは、人に迷惑をかけてしまうかもしれない。

 それに、夢子はこれまでずっと希死念慮とともに生きてきた。うっかりビルから飛び降りたり、衝動的に電車のホームに飛び込んだりしないよう注意する日常だったので、「死」については考え慣れている。どう死にたいかを意識して生きてきたからこそ、よりよく生きるための手術することを今回選んだのだ。このまま人生を無駄にして腐ってしまっては、自殺を我慢し続けてきた甲斐がないってもんだ。

 精一杯努力して人生と体のコントロールを取り戻す。そのプロセスの途中で(たとえば手術中などに)死んでしまっても、それはむしろ前向きなことだと解釈しているから後悔はしない、と言い切れる。夢子は、体調に関しては結果にコミットするつもりはく、努力したというプロセスが大切だと考えている。どんな結果になろうと、我々は受け入れる所存だ。

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