[官能小説レビュー]

古女房の摩訶不思議な変化物語――官能ホラー小説『秘めやかな蜜の味』

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『秘めやかな蜜の味』/実業之日本社

■今回の官能小説
『秘めやかな蜜の味』坂井希久子(実業之日本社)

 セックスすると、相手に対して情が沸くのが人の性。特に女は、抱かれた男に対して情念を抱いてしまうこともあるのではないだろうか。ベッドでもそれ以外でも、たっぷり愛してくれる男に対しては、燃え上がるほどの熱い愛情を注ぐ。しかし、裏切られたり、不条理な形で捨てられたりすると、女は豹変してしまう。それまでの“愛されていた女”からは想像もつかないほどの憎しみを持ち、相手を奈落の底まで追いつめてしまうのだ。嫉妬や妬みにかられ、なりふり構わなくなったその姿は、もしかしたら人ではなく“別のなにか”にも見えてしまうのかもしれない。

 今回ご紹介する『秘めやかな蜜の味』(実業之日本社)は、高齢化の進んだ小さな町に移り住んだ、40を目前にした夫婦の物語だ。39歳になる牧衛は、都会を離れて幼い頃に住んでいたこの町にやってきた。妻の環とひっそりと静かな田舎暮らしを送る日々――しかし、牧衛の周りには、次から次に“不思議な女性たち”が現れる。本書は、現実と空想の間で翻弄される牧衛を描いた、「官能ホラー」小説である。

 本書の中で、特に「現実と空想の間の揺れ」が面白く描かれているのが『桃の香』である。互いに歳を重ねてきた牧衛と環。都会育ちで身なりは綺麗だけれど、やはり出会った頃に比べると容姿は衰えてきている。いわゆる「古女房」というやつだ。13年前は、社員旅行先の伊豆の海辺で人目を忍んで抱き合ったりと、貪るようにセックスを楽しんでいた2人だったが、この町に戻ってからはめっきりセックスレスである。

 しかし、妻がほかの男に興味を示すのは面白くない。環が週に一度通っているテニススクールのコーチから、箱いっぱいの桃が届けられた。「なぜ、わざわざ自宅に桃など?」と、牧衛はコーチと環との関係を訝しがるが、環はそんな心配をよそに、台所で桃を頬張り続ける。顔や胸元に果汁を滴らせ、一心不乱に桃にかぶりつくその姿を、牧衛がただ呆然と眺めていると、なんと環はそのまま13年前の姿に戻ってしまう。そして、桃の香りを全身にまとった環を、牧衛は狂ったように抱いたのだった。

 甘い香りを放ち、たっぷりとした果汁を持つなめらかな触感の桃は、実にエロティックである。そんな桃に、何かに取り憑かれたようにむしゃぶりつく環もまた、実に不気味で官能的に感じる。「官能」と「ホラー」とはこんなにも相性がいいものなのかと思う。

 環は、「夫に女として見られていない」という負の感情をくすぶらせ、そこに桃を介して霊が憑依したのではないだろうか。女の負の感情は人を翻弄し、男を欲情させるほどの魔力を秘めているのかもしれない。桃の汁を口の端からしたたらせ、わき目もふらずに果実にかぶりつくその姿は、まるで獲物を貪る獣。欲に突き動かされる女は、「あさましい」「醜い」と捉えられるかもしれないが、その一方で、建前や恥じらいなどの鎧をすべて取り払った裸の姿とも言える。そこに男が欲情するのも頷ける。

 『桃の香』は、牧衛と環の間に子どもができるという大団円を迎える。しかし、女の負の感情が消化されないままでいると、命をつないで子から子へとその感情が引き継がれてしまう可能性もあるのでは、とそら恐ろしい想像をしてしまった。女は恐い、そう感じさせる1冊だ。
(いしいのりえ)

妖怪よりも、女の方がずっと怖い

しぃちゃん

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