『ザ・ノンフィクション』レビュー

『ザ・ノンフィクション』善意の人は、時に厄介「うちにおいでよ ~居候たちの家~」

2022/06/06 18:52
石徹白未亜(ライター)

『ザ・ノンフィクション』善意の厄介さ

 困った人に手を差し伸べる愛が、「善意の人」なのはよくわかる。夫婦関係や家庭に関することは、当事者たちが納得していれば、他人がとやかく言うことではないが、しかし自分が夫・義明の立場なら、居候を迎え入れる家は気が休まらず、しんどいだろうと思う。

 しかも厄介なのは、愛のような「善意の人」の意見や行動には、周囲も「NO」が言いづらいという点だ。善意に基づいた意見のため、それを断ると心ない人間のように思えてしまう。

 また、善意の人自身にも、自分の考えは善意ゆえに、まさか相手が「NO」とは言わないだろう、という強引さもあるのではないだろうか。これは、善意の人本人ですら無自覚かもしれない。善意の人は善意ゆえに、悪意ある人より時に厄介なのではないかと思う。

 森川家にいる子どもや明希は思春期を迎える。家に自分のスペースが欲しくなるだろうし、何より義明だって一人になりたいときはあるだろう。愛の善意に基づく居候の受け入れは、これからもあるかもしれないが、もし家族は少しでも嫌だったら、はっきりNOを伝えていいと思う。

 善意が大切なように、嫌だ、困る、と思う気持ちだって大切だ。

石徹白未亜(ライター)

石徹白未亜(ライター)

専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。ネット依存を防ぐための啓発講演も行う。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)など。

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いとしろ堂

最終更新:2022/06/06 18:52
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