[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

ホン・サンス新作『逃げた女』は、いつも以上に“わからない”!? 観客を困惑させる映画的話法を解説

2021/06/11 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

『逃げた女』誰が、何から“逃げた”のか?

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 それでは、『逃げた女』の場合はどうだろう。本作もまた「反復・省略・曖昧さ」といった話法から成り立っている。というのも、3人の友達に会うという反復の中で、「逃げた女」が誰なのかが、どんどん曖昧になっていくのだ。観客は当然、主役であるキム・ミニが何かから逃げる物語を想定しているが、タイトルに主語が明示されていないことから、次第に自ら曖昧さに飛び込まざるを得なくなる。ここでは、タイトルが意味を失うという以上に、タイトルが観客を混乱に陥れていく。こうして一見シンプルな構成の本作は「逃げた女」が誰なのかをめぐって、2つの推論を可能にする複雑さを獲得するのだ。

 ひとつ目は逃げた女がガミである可能性。前述したようにこれは、タイトルが主人公を指しているという私たち観客の固定観念を出発点とし、さらに映画の宣伝ポスターにも逃げるようなガミの後ろ姿が使われているため、映画を見る前には疑いようもない事実となっている。だが映画は、ガミが逃げた理由を終始明らかにしないため、ガミが逃げた女であるかどうかすら次第に曖昧になっていく。ガミは何から逃げたのか、どうして逃げたのか、推測は観客に委ねられる。

 たとえば、3人の女性たちをガミに対する「鏡」と捉えることは可能かもしれない。バツイチの先輩、独身の先輩、そしてかつて自分の恋人を奪った友人と再会の相手を順番に見ていくと、ガミは何らかの理由で今の現実から逃げ出したいと思っているのかもしれないと考えられなくもない。ガミが女性たちに向かって夫との一途な愛を繰り返し強調するのは、実際にはそうではない現実の裏返しのようにも見える。

 ガミは離婚してひとりになろうとしているのではないか。夫との関係がギクシャクしている友人の姿は、そのままガミの現実といえるのではないか。単純な解釈ではあるが、物語上あまりに多くの事柄が省略されているだけに、そこには観客の勝手な想像が入り込む余地も十分に残されているといえる。

 もうひとつは、ガミではなく、3人の女性たちこそが「逃げた女」であるという可能性だ。実際、逃げた女がガミである保証など、どこにもない。むしろ3人それぞれが逃げているような状況に置かれていることは、彼女たちの会話からも明らかだ。夫と離婚したヨンスンはソウル近郊で隠遁者のような生活を送る。彼女はガミに、煩わしい人間社会から離れた閑静な田舎生活の良さをちらつかせる。独身貴族を謳歌しているように見えるスヨンもまた、一夜を共にした若い詩人との関係が、自分が好感を抱いている別の男性にバレてしまうことを恐れて、彼のいるバーにも行けず、付きまとってくる詩人から明らかに逃げている。

 そして、夫と一緒に運営している映画館で偶然ガミと再会するウジンは、かつてガミから恋人を奪って結婚までしたという罪意識を持ち、これまでガミに連絡できずにいたと告白する。つまりウジンもガミから逃げていたことになる。こう考えると、逃げた女とはガミではなく3人の女性たちであると考えたほうが、より説得力を持つように思える。映画の最後、かつての恋人だったウジンの夫とも再会し、逃げるように映画館を後にしたガミが途中でふと立ち止まり、映画館に戻って再び席に座ってスクリーンを見つめるというラストシーンは、ガミだけが「逃げなかった」という力強いメッセージとも受け取れるのではないだろうか。

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ハマるかさっぱりわからないか、という極端さがイイ
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