[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

不朽の名作『息もできない』が描く、韓国的な「悪口」と「暴力」――“抵抗の物語”としての一面を繙く

2020/10/09 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

韓国の悪口が「性的な語源」を持つ理由

 そんな本作を見ながら、恐らく韓国語のわからない日本人観客でさえも、何度も耳にするうちに勝手に覚えてしまったフレーズがあったのではないだろうか。そのひとつが、韓国語で最も使われている悪口「シバル」である。けんかの際や相手を罵倒する時の悪口だが、もともとは「시팔 좆같다(シパル チョッカッタ)」という。

 まず「シパル」は、女性の性器を表す俗語「십(シプ)」+「하다(ハダ)=~する」で「セックスする」の意味になる。韓国語は文字の組み合わせによって音が変化するので、「シパル」→「シバル」となり、さらに「놈아(ノマ)=奴」がついて、サンフンの口から頻出する「シバルノマ」になる(女性に対しては「년(ニョン)=アマ」をつけて「シバルニョン」)。英語の「ファック・ユー」と思えばわかりやすいだろうか。

 「좆 같다(チョッカッタ)」に関しては、男性の性器を表す俗語「좆(チョッ)」に、「~のようだ」を指す「같다(カッタ)」が付いて「男根のようだ」の意味になる。「シバル チョッカッタ」と続けると、「セックスする男根のようだ」となり、勃起した男根のように興奮(拡張されたあらゆる意味での興奮)した状態、日本語で言うならば「血が上った」状態を指し示す。ムカついたとき、失敗したときなど、さまざまなネガティブな場面で叫び、つぶやき、時には相手に向けて言い放つのはもちろん、男同士(まれに女同士でも)で言い合ったり、サンフンのように日常的に口にすることも少なくない。

 このように、韓国の悪口には性的な語源を持つものが多いのだが、その裏には、性にまつわるあらゆる物事を「非道徳的」であるとして抑圧してきた朝鮮時代の影響を読み取ることができる。500年以上にわたって続いた朝鮮時代、儒教をこの上なく崇拝した貴族(ヤンバン)は、百姓たちに対しては「性」を抑圧していたのに対して、自分たちは性的な遊戯に明け暮れていた。そんな貴族に対する百姓たちの密かな抵抗が、性の言語化という形で表れているのではないだろうか。

 国語学者のソ・ジョンボムの言葉を借りるならば、最も抑圧される性的なものをあえて用いることで、百姓たちは儒教的抑圧と貴族の矛盾に全面対抗したのである。このコラムの中でこれまでもしばしば登場してきた、韓国における「悪しき」儒教的伝統は、「悪口」という被支配者の言語にも垣間見えるのだと言える。

 こうした悪口からひもとく儒教的抑圧と対抗という関係は、本作におけるサンフンと父の関係性を理解するヒントにもなるかもしれない。

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時代は変わったようで変わってないなあ
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