法医解剖医・西尾元氏インタビュー

『女性の死に方』に反映される社会情勢――DVによる死後ミイラ化した女性、家族への「迷惑」を恐れる自死

2020/02/06 18:00
千吉良美樹

死斑が示した、思わぬ死因

 疑問を抱きながら頭部から足までの観察を終え、今度は森川さんの体を横向きにし、背中を確認した。遺体を起こした瞬間、「死因はやはり窒息死だ」と確信した。森川さんの背中には、何か傷があったわけではない。ただ、足の皮膚にだけ「死斑」が見られたのだ。  これは、死後数時間して現れる紫赤色の変色で、人が亡くなれば必ず現れる現象だ。問題は、その死斑が現れた場所だった。生きている間、人の体には血液が流れている。ところが心臓が止まると、その流れは止まってしまう。すると血液は、地球の重力がかかる方向へと移動していく。例えば、立ったまま亡くなったとしよう。生きている間、心臓のポンプ作用で全身を循環し続けている血液は、その作用が止まった瞬間、重力のかかる足のほうへと落ちていく。

 森川さんの場合、家族の話では「寝ている間に亡くなっていた」はずだった。背中を下にして仰向けで亡くなっていたのだとすれば、胸や腹のあたりを流れていた血液が背中のほうに移動しているはずだ。心臓が止まってから2時間もすれば、背中の表面にその色が現れる。ところがなぜか、森川さんには背中ではなく、足にだけ死斑が見られた。

 これはつまり、森川さんの心臓が止まった時、彼女の体に作用した重力の方向は、頭から足のほうに向いていたことになる。本当は、立っているような状態で死んだはずなのだ。  ここまでくれば、死因は想像がついた。おそらく森川さんは首を吊って亡くなり、その後、寝かされたのだろう。首元の赤い変色も、これで納得がいった。

 その後の警察の調べで、森川さんは浴衣の帯で首を吊って自殺したのだということがわかった。家族は、その悲しい姿を発見した。だが、なぜか一度ベッドに寝かせてから救急車を呼んだらしい。周囲に「おばあちゃんが自殺した」ことを知られたくなかったのかもしれない。

 実は、森川さんが同居していた家族は甥っ子夫婦だった。森川さんにはひとり娘がいた。生涯独身だった60代の娘が森川さんとずっと同居し、介護が必要になってからも食事から入浴まで生活全般の面倒をかいがいしく見ていたという。ところが、彼女が胃の不調を覚えて病院で検査を受けたところ、がんが発覚。かなり進行しており、半年の闘病生活後、亡くなってしまった。ひとりでは生活が難しい森川さんの今後をどうするか。森川さんには妹がいたが、彼女もまた持病があり、介護が必要な状態だった。親族が話し合い、結局、妹の子供の家で同居することになったそうだ。

 亡くなった森川さんのことを、かかりつけの病院の医師がよく覚えていた。お風呂に入っていないのか、体はあまり清潔でなかったらしい。医師には「家ではいつもひとりでご飯を食べている」と漏らしていたそうだ。
**********(引用ここまで)

「女性の平均寿命は男性よりも長く、結婚し、どちらかが亡くなるまで連れ添ったとしても、その後ひとりになる高齢女性は少なくないと聞きます。加えて、最近では、実の子供だとしても、面倒を見てもらうということに引け目を感じる人もいれば、逆にひとりのほうが気楽でいいという人もいる。そんな中、親族に面倒を見てもらうとなると、内心気を使っていたのかもしれません」(西尾氏)

 このケースで西尾教授は、ある興味深いデータを提示している。再び、本書に戻る。

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 この一件があってすぐ、私は興味深いレポートを読んだ。東京医科歯科大学が2017年に発表した「同居なのに孤食の男性 死亡リスク1.5倍」という発表資料では、高齢者の孤食(ひとりで食事をすること)は低体重やうつ症状につながる可能性が高い、ということが指摘されていた。この研究では、65歳以上の高齢男女約7万人を3年間にわたり追跡調査し、孤食と死亡についての関係を調べている。「同居で共食(誰かと一緒に食事をすること)している人」の死亡リスクを1とすると、男性については、「ひとり暮らしで孤食している人」の死亡リスクは1.18倍になるという。そして、「同居だが孤食をしている人」は、その死亡リスクが1.47倍にもなるというのだ。

 女性の場合、少し数字が下がるものの「ひとり暮らしで孤食」は1.08倍、「同居で孤食」は1.16倍だったという。つまり、「ひとり暮らしで孤食をしている人」よりも「同居だが孤食をしている人」のほうが、死亡リスクが高いことになる。

 興味深いことに、「ひとり暮らしで共食をしている人」は男性で0.84倍、女性で0.98倍と、「同居で共食している人」よりもリスクが少なかったという。ひとりで暮らし、家族や友人などと食事をするという他者との距離感が、無駄なストレスを避ける上でちょうどよいのかもしれない。

**********(引用ここまで)

 「もともと男性に比べて女性のほうが、社交性がある。私から言わせれば、女性のほうが異状死しないような生き方をしているように思えます。それはつまり、家族に限らず、何かあった時に助けてくれる友人や、様子を見にきてくれる友人との関係を女性たちのほうが日頃から築けているのではないかと思うのです。ただし、だからこそ一層、“孤立”した時の悲しみや寂しさも大きくなるのかもしれません。気を使うくらいなら、ひとりで生活したほうがいい。そう思ってひとり暮らしをし、その末に“孤独死”したと言われても、それが不幸な死だったかどうかは、本人にしか決められないことでしょう」(西尾氏)

 西尾氏は本書の中で、こう締めくくっている。

「死は誰しもに訪れる。しかし“悲しい”死に方を知っておけば、対策を講じ、避けられる不幸もある。本書がその一助になれば幸いだ。そのために、まずは是非とも、今を幸せに生きることに集中してもらえたらと思っている」

最終更新:2020/02/06 18:00
女性の死に方
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