アカデミー賞受賞作品『ムーンライト』は「LGBT映画」か? 人種、セクシュアリティ、男らしさ、貧困…複雑な背景をめぐる一人の人間の成長譚

アメリカ・マイアミ州のリバティシティを舞台にした『ムーンライト』は、一人の少年の成長を追った三部構成の物語で、一見すると退屈と感じる人たちもいるかもしれない。しかし、主人公を構成する、セクシュアリティ(性的志向)、ジェンダー(社会上の性的表象やアイデンティティ)だけでなく、貧困、生育環境、人種といった要素に注意しながら観賞すると、さまざまな差別の内側に入り込み、この物語のロマンティックな核を味わうことができる。

本作は地味だけれど、ひるがえって、わざとらしい悲劇や喜劇に仕立て上げていない証左であり、つまり、わかりやすいキャラクタードラマ化を回避していると言える。一面的ではないということであり、作中の登場人物はいずれも実際、マイアミのどこかで生きているだろうと感じさせられる。監督・脚本のバリー・ジェンキンスも、原案『In Moonlight Black Boys Look Blue?』(月夜の下で黒人少年は青く見えるか?)を書いたタレル・アルバン・マクレイニーも、仰々しい話を盛り込んだりせず、登場人物らの人生に勝手に関与してねじ曲げたりしないよう注意深く、そっと彼らに寄り添う。

そういう意味でも『ムーンライト』について「LGBTを扱った映画」と紹介するのは正しくない。なぜなら本作ではゲイまたはバイセクシュアルかもしれない男性しか登場しないからだ。

「LGBT」はそれぞれ、Lは女性を恋愛対象とする女性を指すレズビアン、Gは男性を恋愛対象とする男性を指すゲイ、Bは男性と女性の両方が性愛の対象になる人(あるいは性愛対象に性別を問わない場合も含む)を指すバイセクシュアル、そして生物学・解剖学的性別(セックス)に付与された社会的性別(ジェンダー)に違和感を覚えて移行する(トランス)人々を指すトランスジェンダー、の頭文字だ。

この語を性的マイノリティの総称として使っているだろうと想像されるケースがメディアでも後を絶たない。本作について、NHKでも「映画『ムーンライト』を見てLGBTに理解を」という報道があったけれど、理解という言葉に一面的な傲慢さを感じる。そもそもLGBTという略語にはキャッチーさがある一方で、インターセックスなどそのほかの性の在り方は含まれておらず、包括的ではなく、万能な言葉ではないという前提が忘れられてはならない。

また、「ゲイ映画」と矮小化してまとめる見方にも、疑問がある。

確かに『ムーンライト』では、男性である主人公とその幼いころからの友人ケヴィンのあいだで、親密な感情の交流や接触が描かれている。とりわけ十代のパートでは、二人は互いにそのコミュニケーションに慎重で、戸惑い、しかし掛け替えのない瞬間を味わっているように見える。

これを「ゲイを描いた」と一言で済ませることもできるかもしれないけれど、先述のとおり、それでは本作の真髄にふれているとは言えないとわたしは考える。なぜなら彼らは一度も、自分について「ゲイ(またはバイ)だ」と自称はしておらず、自己定義する未分の状態にあるからだ。だからこそ、セクシュアリティの文脈で本作について話すには、より一層注意が必要だと思う。

「同性愛=ホモセクシュアリティ」という概念が作られたことで、人間が同性愛者と異性愛(ヘテロセクシュアリティ)者を分けて見られるようになり、これが差別や排他を生んだ。ヘテロの人に考えてみてほしいのだけど、ヘテロと自覚していない人の恋愛映画を、わざわざ「ヘテロを扱ったラブストーリー」などと言わない。つまり「ヘテロセクシュアルは当たり前」だと考えられているということだ。当人が「ゲイだ」と名乗っていない以上、いくら「同性間の親密性や性的接触」がうかがえても他人が名付けをするのは危険で、あくまで同性愛的経験としてとらえるのが適切だとわたしは考える。

他人が他人の性に勝手に名前を付ける暴力性は、『ムーンライト』の持つ、素朴な感情や欲求という抽象性の美しさには、ほど遠いと感じる。「ゲイの美しいラブストーリー」と言ってしまえば、一聴とてもロマンティックに思われるけれど、そこには「差別に屈しないマイノリティ像の消費」という卑下の意識が潜んでいると言えるだろう。しかし、同時に、「i-D」の記事で指摘されているように、黒人とクィアという、ひとりの人間の多層性を描くうえでの革新性は注目され、丁寧に検証されるべき点だと思う。

ちなみにクィアとは、近刊の森山至貴『LGBTを読みとく』(ちくま新書)から引用すると、

〈「非規範的な性(を生きる人)全般」「性に関する社会通念を逆手にとる生き方(をする人)」「性に関する流動的なアイデンティティ(を生きる人)のどれかまたは複数を指す〉

このような在り方と言え、本作の核とも結びつく。クィアという視座は、「同性愛者」というような形でセクシュアリティのみで一人の人間の人格を規定するのではなく、多層的なものととらえ、さまざまな問題と接続する可能性を含んでいるからだ。

先述した、「同性間の親密な関係や接触」に対する戸惑いにフォーカスしてみると、主人公とケヴィンの心情にはもしかしたら、同性愛が「普通ではない」「例外だ」とされている現状の社会において「同性間の親密な関係性は避けられるべきもの」として考えられ、だから、自身の内から湧く「同性である他人に対する情愛や欲望」に立ちすくんだ、と解釈することもできそうだ。

なぜなら、彼らが住むような危険な地域では「男は男らしくあるべき」という規範が漂っているだろうし、また自身も生き延びるために「男らしくあろう」と努めるだろう。また、異性愛が一般とされる社会における「男らしい」には「女に欲望する」ことが当たり前のこととして含まれていると考えられるため、同性愛的感情や欲求は自発的に抑えられようとするものとして見るのが、自然に思う。実際、主人公が成人した三部では身体は屈強に鍛え上げられており、洒落た車を乗り回し、金のグリル(歯の装具)をつけ、典型的な「男らしさ」をまとった姿になっている。

この姿は、父親のいない主人公にとって身近なロールモデルだったであろう、ドラッグディーラーのフアンと重なる。母親はドラッグ中毒で、学校でもからかわれたり除け者にされ、ケヴィン以外に友人がいない様子の主人公と、フアンとその恋人・テレサとの交流には、圧倒的な包容力で肯定される様子がうかがえる。だから主人公は心を許したのだろうし(つまり『ムーンライト』は「居場所」のドラマでもある)、フアンのように成長するのだろう。ここでも「自分は何者であるか?」という自己定義というテーマが顔を出す。「自分」というものは、周囲との関係や環境、ロールモデルの参照などによって左右されるところが大きい。

このフアンの存在も決して一面的に善いものとして描かれているわけではない。フアンは、主人公の母親の堕落の原因になっているドラッグの元締めであるのだから。この多層性が物語に奥行きを与えるけれど、そこに説明はほとんどない。

こうした有色人種をめぐる負のルーティン、貧困と薬物中毒、就労困難、階級再生産といったアメリカの病巣については、同じく第89回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー部門にノミネートされていたエヴァ・デュヴァーネイ監督の『13th -憲法修正第13条-』(Netflixで配信中)が把握しやすいのでおすすめしたい。この作品では、奴隷制の廃止のタテマエとなっている憲法修正13条が存在しながらも、未だに有色人種とりわけ黒人が社会構造上、(実質上)二級市民として隷属されやすいのはなぜか、その歴史的経緯を知り、現状を考える材料となり、『ムーンライト』の物語の背景がより深まってとらえられると思う。もちろん、ドラッグ売買や所持は『ムーンライト』の社会でも日本でも犯罪だが、それを一様に「悪いこと」と言い切れなくなる。

また、フアンはキューバ出身のアフロ・キューバンで、黒人の中でも肌の色が濃い。こうした人間が社会に溶け込むためには努力が必要と言われている。わたしたちは一口に「黒人」と言えてしまうのだけど、その内実も多様で、アフリカンアメリカンだけではないという示唆も含まれている。

ここまで、主人公の名前を記述してこなかった。公式サイトと字幕では「シャロン」とされているが、ツイッターで、ブラックカルチャーに明るい翻訳家の押野素子氏らが指摘するように、これでは女性に付される名前(例:シャロン・ストーン)になってしまう。聞き取りが難しいかもしれないが、確かに「シャイロン(Chiron)」と発音されている。なぜなら、名前をいじる文化というのは存在し、ほんの少しちがうだけで、主人公のアイデンティティの形成に影響が出てしまうからだ。特に『ムーンライト』では「シャイロン」は「オカマ(faggot)」といじられており、名前が「シャロン」という女性的なものだったら、いじめに利用されただろうと考えられる。この点からわたしも疑問を抱き、配給会社には申し訳ないが、「シャロン」が正しいとは言えないのでこの記事でも使用を避けた。

本作では色調のトーン管理が徹底されており、目を引く。マイアミの熱のなか黒人たちの肌は照り、湿度を帯びて見える一方で、タイトルにもなった肌を青く見せる月下のシーンでは、詩情を誘う。その鮮やかさは、人生の一回性を味わう青春の輝きにも見えるし、だからこその侘しさにも見える。

要所で流れる音楽もすばらしく、過剰にドラマの偏りを演出するのではなく、不安定な感情の襞を、適切な奇妙さで彩っていた。これらはいずれも、劇場の大きな画面と優れた音響で味わうべきものだと思う。

本作の後半でも、同性間の接触が描かれているけれど、その様子は少年時代に戻ったようにも見えながら、大人になったからこその探り合いがひりひりと貼りついてもいる。こうした多層性は、観る側ひとりひとりがどういう価値観を持って解釈するか問われるし、懐が深いとも言える。「ゲイのラブストーリー」というような矮小化された仰々しさはなく、実にさりげなくて、様々な観客を包み込んでくれるよう。

『ムーンライト』は、一人の黒人を追ったシンプルなストーリーに複雑さが内包された、とても美しい傑作だ。
(鈴木みのり)

『ムーンライト』
3月31日(金)、TOHOシネマズシャンテ他にて全国公開
監督/脚本:バリー・ジェンキンス 原案:タレル・アルバン・マクレイニー
出演:トレヴァンテ・ローズ、ジャハール・ジェローム、アシュトン・サンダース、ナオミ・ハリス、マハーシャラ・アリ、ジャネール・モネイ
配給/宣伝:ファントム・フィルム
2016年/アメリカ/英語/111分/カラー/シネスコ/原題:MOONLIGHT

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