[サイジョの本棚]

『映画系女子がゆく!』が示した、イタさも錯乱も内包する「女」という生き物の面白さ

2015/02/22 19:00

■『映画系女子がゆく!』(真魚八重子、青弓社)

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 『映画系女子がゆく!』は、邦洋新古問わず多くの映画に登場する“必要以上に自意識をこじらせてしまった女性”を取り上げ、彼女らをフックにして、映画と女性の生き方を考察するエッセー集。

 多くの女性向け映画ガイドと異なり、イケメンはほとんど紹介されていないし、おしゃれなファッションやインテリアにも触れていない。けれども本書には、さまざまなタイプの悩みを持つ女性が取り上げられている。

 例えば、『ヤング≒アダルト』は、アラフォーで仕事も恋愛もうまくいかなくなってきた女性(メイビス)が、孤独のあまり既に結婚した元彼に執着し始める話。著者は「イタイ女が他人に迷惑をかける狂態の作品」と見る人がいることを理解しつつ、「孤独や不安定な精神状態のときに、(略)依存しようとしたことのない人だけが、メイビスに石を投げる権利がある」と、登場人物の弱さを他人事ではなく自分たちにもあるものとして近い目線で寄り添う。

 本書に取り上げられた映画の登場人物たちは、正しい道を選んでばかりではない。しかし、優しく冷静な著者の視点につられて、フィクションの中の遠い存在であるはずの女性たちがふいに自分のすぐそばにいるような、時には自分自身であるような気にさせられる。今まで知らなかった映画を楽しむ、新たな角度を教えてくれる1冊だ。

■『ヌードと愛国』(池川玲子、講談社)

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 江戸時代まで、日本ではこっそり楽しむものであった「ヌード」。この一部が「芸術」であるとされたのは明治以降のこと。欧化政策の一環として急速に推し進められたことで、国民の感覚が追いつかず、最初のうちは、芸術としてのヌードは大衆の好奇の目にさらされたという。

 『ヌードと愛国』は、そんな明治以降、大幅に舵を切った日本に現れた「芸術としてのヌード」を7つ取り上げることで、美術史と女性史の接点を新たな角度から見せてくれる評論集。堅いはずの内容が、読みやすくすっきりと頭に入ってくるのは、すべてのヌードに「謎」を提示し、歴史ミステリーのように読み進められる点だ。

 『智恵子抄』のモデルとして知られる画家・長沼智恵子の伝説となっている「リアルすぎる男性器描写」の真偽。女性警官が全裸で路上に立ち交通整理をする写真の謎や、70年代の「パルコの手ブラ広告」に込められたメッセージ――。どの章においても、さまざまな立場の証言(資料)を推理し、鮮やかに謎を暴く。芸術家個人が注目されがちなアートの分野も、国の思惑や外交と無関係ではない。その背景を知ることで、さらに複層的な楽しみ方があることに気付かせてくれる。
(保田夏子)

最終更新:2015/02/22 19:00
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