コラム
[連載]悪女の履歴書

恩赦された女死刑囚の数奇な軌跡――貧困と抑圧された2つの家族に生きた女

2013/06/17 19:00

■高まる世間からの「恩赦」の声

 恩赦――。日本では最近ではあまり耳慣れないが、海外では政治犯、元大統領などの要人に対し、人権上の問題から恩赦が求められるケースが時折報道されている。最近でも、北朝鮮で拘束された米国男性に対し、米政府が北朝鮮側に恩赦を求めているといわれている。

 日本でも恩赦法は存在する。現在の恩赦法は昭和22年に施行され、政令・特別基準恩赦と個別恩赦などいくつかの種類がある。政令恩赦は「君主や国家の恩による特別の赦し」で、国家的祝賀に当たる天皇や皇室の慶賀行事に行われる制度であり、個別恩赦はそれぞれの事情により実施されるものだ。刑を消滅または減刑、停止する制度だが、日本でもかなり古くから行われ、戦後で政令恩赦だけでも12回実施されている。ちなみに、近々では平成5年の皇太子成婚の際に特別基準恩赦があった。また死刑囚に適用された政令恩赦は昭和27年のサンフランシスコ平和条約発効によるものだけだ。

 世間から恩赦を求める声が大きくなっていった宏子だったが、サンフランシスコ平和条約記念恩赦など4度の恩赦に選ばれることはなかった。だが病状の悪化などから、法務省も宏子を減刑恩赦すべく、さまざまな検討を加えていたとされる。だが、そこに立ちはだかったのが被害者遺族の強い懲罰感情だった。宏子に対する世間の同情が集まれば集まるほど、被害者遺族は頑なになり、決して宏子を許そうとはしなかった。この間、宏子の病状はさらに進んでいく。

 だが昭和44年9月2日になり、宏子の個別恩赦が閣議決定される。時の法務大臣が「GHQ占領下で起訴された死刑囚7名に対して積極的に恩赦を実現する」と表明、その中に宏子の名前もあったのだ。この恩赦によって宏子の死刑判決は無期懲役に減刑された。この時の個別恩赦は宏子以外、冤罪が疑われたケースばかりだった。宏子の場合、冤罪ではないが死刑執行ができる状態ではなかったことが選ばれた要因だった。

 この時、宏子は54歳になっていた。恩赦を知らされた宏子だったが、拘禁性精神病の症状から正気に戻ることはなかったという。恩赦となった宏子は、同年に八王子医療刑務所に移送され2年半の治療を受けた。昭和47年に和歌山刑務所に移送されたが、結核が悪化して昭和52年7月に刑が執行停止、結核予防法により奈良県の療養所に収容された。翌昭和53年3月4日、この療養所で病気により死亡した。享年62。

■家族に尽くし、解放されない女たちの時代

 以上が戦後初の女性死刑囚だった宏子の辿った数奇な軌跡である。宏子は忍耐強かった。だが宏子は次第に物理的、精神的にギリギリのところまで追い込まれ、苛立ち、疲れ果て、そして爆発した。宏子はおとなしい女性だといわれるが、こうした不満や感情の発散ができない、自分で抱え込むタイプの女性だったのだろう。そのストレスが直接的に罵倒され、さげずまれ、また実父だと思える男を見下した菊代に向かった。法廷ではそうした動機は語られなかったようだが、菊代に対する長期にわたる怨恨を感じざるを得ない。事前に凶器を用意したことからも、「いざとなれば金と一緒に菊代を葬る」という激昂した突発的意志さえ感じるのだ。

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