引き継ぎ式検討メンバーに就任

椎名林檎はやっぱり右傾化したのか? 問題だらけの五輪に協力する意図を探る

2016/03/29 15:00

 ジャーナリストの清義明氏は、「サッカーは民族と文化のミクスチャー(混在)のシンボル。(中略)最近は浦和レッズの一部のサポーターが掲げた『JAPANESE ONLY』という横断幕が差別表現と大批判された事件もあったのに、サッカーのカルチャーをまったくわかってない」(週刊朝日、14年7月14日)と述べている。

 一方で、評論家の宗像明将氏のような「和の要素も含む過剰な様式美を押し出してきた人ですから、その要素が過剰に出すぎて議論を呼んでいるだけでしょう」(同)という意見もある。

 音楽の世界とファシズムの親和性はなにも椎名に限ったことではない。過去のロックスターらもファシズム的なものに随分と入れ込んだ時期がある。

 ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、ナチスの党大会を描いた映画『意志の勝利』(レニ・リーフェンシュタール監督)を何十回も見てライブパフォーマンス上の参考にしたという。最近物故したデヴィッド・ボウイもナチにかぶれていた時期があったことは有名だ。彼は76年に「プレイボーイ」誌で「ぜひ政界入りしたい。首相になることに憧れている。ファシズムにも非常に強く傾倒しているんだ」と述べ、政治的ゴシップのネタになったのだ。

■右翼的な振る舞いを習慣的に行っている者は立派な右翼

 オリンピックとファシズム、といえば、1936年ナチス政権下のベルリンオリンピックが顕著だが、椎名がまさかそこまでは考えていないにしても、ワールドカップとオリンピックに間接的にせよ関与し、そして日本的なものの美しさ、一体性を訴えるような歌を歌う、ということが意味するものはなにか。

 哲学が専門の専修大学講師・伊吹浩一氏は次のように語る。

「『NIPPON』の歌詞を読んでも、すこぶる薄っぺらいもので、『ああ、この人はサッカーも、日本国家にも何も興味がないんだろうなあ』ということはよく伝わってきました。現代思想家のルイ・アルチュセールとスラヴォイ・ジジェクは『イデオロギーは精神ではなく、身体的身振りに宿る』と言っていますが、何ら確信を持っていなくとも、右翼的な振る舞いを習慣的に行っている者たちは、立派な右翼とみなさなければならないと思います。また、『美学』を重視するのは、ナチスにも三島由紀夫にも共通してみられるものです。ナチスも第一次大戦に敗戦したドイツの退廃的な雰囲気の中から出てきたものであり、あるいは椎名林檎的な表現形態も、いまだに先の大戦の総括もきちんとできずに、ぐずぐずとルサンチマンを抱く者たちが一部に存在するこの国の文化風土から出てきたものであるとするなら、両者の『美学』は同じ敗戦国で、かつファシズムに走った国のそれとして共鳴している可能性があります」

 つまり、右翼性というのもまた身体的な身振り=例えば衣装や振る舞い、などに宿るものだという。となれば、椎名が「演じている」右翼性というのも、単なる身振り、ファッションというよりも意外と本気に“右翼”なのかもしれない。

 たとえば、右翼芸人の鳥肌実のように、当初「芸」としての右翼を演じていたはずが、本当に在特会の初代会長・桜井誠とイベントで共演する、という状況になった例もある。ある思想や装いをうまく取り入れた、と思ったつもりがそれに取り込まれてしまう、ということはありうるだろう。

 ともあれ、椎名林檎が東京オリンピックの公的な役職に就いたことは確かだ。今後、彼女はどのように五輪に関与していくのだろうか。
(福田慶太)

最終更新:2016/03/29 16:16
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