『時をかけるヤッコさん』トークショー

少女時代の原体験が、「これでいいんだ」と確信させる――『時をかけるヤッコさん』の強さ

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左から森永博志氏、高橋靖子氏

 ラフォーレ原宿の目の前にある、東急プラザ表参道原宿はその昔、「原宿セントラルアパート」という米軍関係者の共同住宅だったのをご存じだろうか。竣工されたのは1958年のことである。後に、カメラマンやコピーライター、デザイナーなどクリエイターが多数事務所を構える文化人のステータスになり、コピーライターの糸井重里氏、忌野清志郎やYMOの写真集を撮った写真家の鋤田正義氏など錚々たるメンバーがいた。

 1970年代に最も成功したであろうスタイリスト、高橋靖子氏もまた原宿セントラルアパート出身だ。41年生まれの彼女は早稲田大学卒業後、セントラルアパートに入っていた広告制作会社に入社し、60年代半ばからフリーのスタイリストになった。フリーランスのスタイリスト業として確定申告の登録第1号になり、日本における「職業 スタイリスト」の礎を築いた人物として知られている。クリエイティブの才能と、おてんばで愛くるしい性格からデヴィッド・ボウイやイギー・ポップ、T-レックスといった海外の大物アーティストから、国内でも荒木経惟、箭内道彦、伊丹十三、矢沢永吉、坂本龍一、布袋寅泰、最近ではももいろクローバーZまで、幅広い交遊録でさまざまな衣装をスタイリングしてきた。74歳になっても現役で活躍している、伝説的なスタイリストだ。

◎フランスパンと安保闘争をつなぐおしゃれへの意識
 そんな高橋氏が、自身の仕事から見える70年代のカルチャーシーン、フリーランスとして生きる道、人生観などを綴った『時をかけるヤッコさん』(文藝春秋)がこのほど刊行された。数十年にわたって高橋氏が数多くの著名人たちと仕事をしてきた当時のエピソードや、貴重な写真がふんだんに盛り込まれたエッセイだ。この刊行を記念して先日、創刊当時の「月刊プレイボーイ」(集英社)や「BRUTUS」(マガジンハウス)を担当していた編集者の森永博志氏を迎えたトークイベント「高橋靖子×森永博志 ロックとファッションとクリエイター~70年代カルチャー原論」が下北沢の本屋B&Bで開催された。

 イベントでは、高橋氏がスタイリストという仕事に就いたきっかけや、70年代に雑誌やTVCMといった広告文化が増えたことで仕事の内容も変化していったという当時のファッション業界事情、前述の海外アーティストのエピソードや60~70年代のニューヨークとロンドンに満ちていた空気感などを両名が語り合い、過去に高橋氏が関わってきたフジテレビや雑誌、化粧品のTVCMなども写真と映像を使って紹介した。高橋氏は昔からおてんばなところがあったそうだが(それが多くの人を魅了しているのだが)、政治への関心も昔からあり、60年の安保闘争の時には、群れるのが苦手で、1人でふらりとデモに参加したものの、「当時とてもオシャレだったフランスパンを3本持ち歩いて皆に『食べる?』と分けていたらいろいろな人に『なんなんだ、それは!?』って驚かれたことはよく覚えています」と、学生時代を回想し、会場は笑いに包まれた。

 また、74歳でありながらSNSで日々出来事を発信していることについて、「小さい頃に友人と綴っていた交換日記が影響しているかも」と、幼き頃の原体験を少し恥ずかしそうに語った。森永氏はそんな少女のような高橋氏について「あのデヴィッド・ボウイに迎え入れられるように、昔から周囲の人間を惹き込む力がある」と評す。さらに、スタイリストという職業に前例がない中では、ギャラも安く服を集めるルートもとても大変だったそうで、「とにかく自分の『これでいいんだ』という確信で仕事をやるしかなかった」(高橋氏)と述懐した。

ときめいてる自分すら客観視しちゃもったいない!

しぃちゃん

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