『「女子!」の時代』刊行記念インタビュー

コミュニケーションツールとして「オタク」を使う、“準オタク女子”の存在を検証

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『「女子」の時代!』(青弓社)

 「女子会」「女子マンガ」「女子写真」……。「女子」という言葉が溢れる現代において、“女子カルチャー”はひとつの大きなうねりとなり、日々存在感を増している。そんな「女子」の実態を、ファッション誌、ガーリーフォト、マンガ、鉄道、K-POPなどの観点から論じたのが『「女子」の時代!』(青弓社)だ。編著者である、甲南女子大学教員の池田太臣氏は、同書の中で「オタクならざる『オタク女子』の登場」として、主に男性を指していた「オタク」イメージに女子が登場する過程を、メディアとの関係とともに論じている。

 「オタク」という言葉のイメージの修正やオタク文化の資源化によって、“オタク的であること”がプライオリティーを持つ現代。自己の興味を追求する女子が増えている一方、「オタク文化がそれほど好きではないけども、オタクというイメージを好み、オタクになろうとする女子」である“準オタク女子”なる存在も増加傾向にあるように思う。そこで今回は“準オタク女子”という仮説を、池田氏とともに検証した。

――本書の中では「ファッション誌とオタク文化が結び付き、女性とオタク文化の結び付きが公然と語られるようになり、同時に『オタク女子』が登場することになった」と、オタク女子のメディア浮上を指摘されています。これは「メディアが無視できないほど、“オタク女子カルチャー”が隆起した」と見る側面がある一方、オタク文化が資源化し、女性誌が「オタクカルチャーの消費」を促していると見ることもできます。

池田太臣氏(以下、池田) “準オタク女子”は非常におもしろい現象ですね。私が「オタク女子の登場」について書いた際には、まったく考慮に入れていませんでした。

 まず、「事実としてオタク女子カルチャーが広がってきた(容認する雰囲気が醸成されてきた)」ことと、「メディアが新しい購買層の開拓のために煽っている(メディアによる構築にすぎない)」ことは、おそらく鶏と卵のような関係にあると思います。女性誌が「オタク文化とのクロスカルチャー」をアピールできるのは、やはり世間の風潮が変わったから。しかしメディアによって、「そういうのもアリなんだなぁ」と気づく人も多いと思います。その結果、オープンに自分のオタク性を主張できるようになったり、オタク的趣味にチャレンジする人が増えたり、それをまたメディアが取り上げる。こうしたスパイラルは、どちらが先かという詳細な歴史的確定は難しいだろうと思いますので、ほぼ同時的に起こってきたと考えた方が適切かと思っています。いずれにせよ、女性が新たな自己表現のフィールドを獲得した・拡大させたという意味で、私はこうした現象を肯定的に描いたつもりです。

――そうした女性誌とオタク女子の増加の相乗効果の中で生まれてきたのが、「能動的にオタク女子になりたがる“準オタク女子”」のように感じます。

池田 「オタク」という言葉は、独特の文化的な文脈とさまざまな評価を帯びた言葉ですので、「ファン」という言葉を使って考えれば、「ファン」は1つの社会的制度、平易に言えば「役割」であると思います。「ファン」でいれば、深い知識を持つことやイベントへの参加などの行動が期待されます。そして「役割」である以上、ある程度演じることができる。もし「ファン」を演じることで得られる「居心地のよさ」「便利さ」があるとするならば、それほど趣味の対象が好きでなくても、演じるための十分な動機になりうると思います。ですから、ご指摘の通り「能動的にオタク女子になりたがる“準オタク女子”」は、存在しうる。ただ、私にはオタク女子にあえてなろうとするメリットが、いまひとつわかりません。

――“準オタク女子”は、共有する知識が他者との距離を縮める「武器」となることに気づいているのではないかと思います。具体的に言えば、SNS(mixiのコミュニティーや、ツイッターのプロフィール欄での興味の羅列)の発展によって、自分を“見つけてもらう”ために「何かのオタク」を意識的・無意識的に振る舞うのではないかと。

池田 確かに、趣味はコミュニケーションのツールになる。特にインターネット上での相互交流が発展してくると、「同族」を探しやすいので、趣味のコミュニティーができやすくなるということはあるでしょう。だから趣味を持っていた方が仲間を探しやすい。その利便性を考慮して、オタク女子になろうとする “準オタク女子”が登場するのは理解できます。

 ただここが重要な点なのですが、なぜオタク女子になろうとするのでしょうか。どんな趣味がその場のコミュニケーションのツールとしてふさわしいかはケースバイケース。「オタク的な趣味」の場合は、相手に100%受け入れられるかはまだ半信半疑の面もあります。ほかの趣味に比べるとリスクが大きい。だから、いまだに「隠れオタク女子」も多いのではないでしょうか。それを考えると、なぜファッションフリークやスポーツ好きではなく、「オタク女子」なのでしょうか。

――オタク文化との距離感の測り方や、オタク文化において自身の“キャラ”を確立することがお手軽(実際はとても困難な作業)に見えるのではないかと。

池田 つまり、オタク文化は敷居が低いということですね。そこに大いに関連していると思いますが、私が察するに、オタクのイメージの醸し出している「雰囲気」が重要なのではないでしょうか。オタクのイメージ(あくまでイメージの話ですが)は、その当初から敬遠されやすい存在であったとともに、面白がられる存在でもありました。ですから、宅八郎さんのように「オタクらしさ」を前面に出していた方もいて、それがウケた。

 端的にいえば、うまく活用できれば、ほかの趣味のファンを掲げるよりも、ずっと親近感を持たれやすいし、関心を持たれやすい。だから、カメラ女子よりもファッションフリークよりも、オタク文化のファンが一番「絡みやすい」。“準オタク女子”は、そのあたりを目ざとく察知して、“利用”しているのかなと想像します。これは私の教員をやっていての実感ですが、現代ではやはり「絡みやすさ」(=アプローチのしやすさ、とっつきやすさ)がとても大切。だから「オタク」イメージは、自分のキャラに振りかける「スパイス」としては、非常に有効かと思います。

――バラエティー番組『アメトーーーク!』(テレビ朝日系)の人気が象徴していると思うのですが、趣味やそれ関する知識量を持つことを強要するような時流があり、その空気を読んだ形で“準オタク女子”の存在が増加しているような気がします。

池田 「趣味を持たなければいけない」「何かのファンでなければならない」という社会的な圧力が登場したということですね。現代のように“物が売れない”と嘆かれている時代には、ファンを「メディアに踊らされやすい未熟者」とするよりも、「熱心な消費者」として肯定的に描く方が時流に合っています。そうしたイデオロギー的な側面も、「オタク女子」になろうとする“準オタク女子”を生み出している背景の1つといえるかもしれない。つまり「何かにハマっていることはすばらしい」と社会全体が称揚する、と。

 それから、『アメトーーーク!』で言えば、同好の士で集まって、ごちゃごちゃと好き勝手な話をする“様子”は、もう見ているだけで楽しい。だから、そうした「仲間」が欲しいというのもあるでしょう。マンガ『ONE PIECE』(尾田栄一郎、集英社)やAKB48さんたちのような「集って楽しそうにしている絵」(「わちゃわちゃ感」とでもいうのでしょうか)というのが、今の日本人の価値観を最もよく表した「絵」になっているんだと思います。そうした美的感覚もまた、「オタク女子」に憧れる女子の登場の背景にあるかもしれません。
 
――男性からの性的な視線や社会規範から抜け出し、自己の趣向を突き詰めて「オタク女子」となった女子がいる一方で、逆に社会風潮から生み出された“準オタク女子”の存在というのは、どのような意味を持つと思われますか?

池田 これは難しい問題ですね。“準オタク女子”は、単純に考えれば、彼女たちは彼女たちで、1つのコミュニティーを形成するのではないでしょうか。ファンというのは、「コアなファン」と「それほどでもないファン」とに分化する傾向にあります。両者が排斥し合うのは、ファン文化の発展から見るとマイナス。両者が互いにすみ分け、場合によっては交流するというのが理想の未来像ではないでしょうか。

 それからもう1つ、“準オタク女子”の中から、ほかの趣味領域と「オタク女子的領域」とを交配させるような存在が登場してくるかもしれません。「よりコアなファン」になるためには、より多くの時間的および金銭的な資源の投資が必要。より狭い範囲に投資すれば、より「コアなファン」になれる。それぞれで、ファン文化を支える存在になります。

 他方で、そこまでは行けないし行く気もない“準オタク女子”は、少しずつ、さまざまな領域に投資するかもしれません。より広い領域にそこそこに詳しい人たちは、それらの領域をまたいで活動し、つないでいく可能性を秘めているとも言える。仮にこうした人たちを「趣味的なバイリンガル(あるいは、マルチリンガルでも構いません)」と呼ぶとすれば、「趣味的なバイリンガル」が、新しいセンスを生み出していくのではないかと期待しています。

 いずれにせよ、マージナルであることは決してマイナスではありません。「これまで」にとらわれずに、趣味を楽しんでほしい。せっかく「オタク女子」的な生き方も可能になったのに、今度はそれが1つの縛りになるのは、悲しいことですよね。
(構成=小島かほり)

池田太臣(いけだたいしん)
甲南女子大学教員。専攻は社会学理論、若者文化論、サブカルチャー論。著書に『ホッブズから「支配の社会学」へ』(世界思想社)、共著に『文化社会学入門』(ミネルヴァ書房)など。

「女子」という言葉は、なぜ一気に広まり定着したのか。ファッション誌、写真、マンガ、音楽などのバラエティ豊かな素材から、従来の規範から軽やかに抜け出した「女子」のありようを活写する新たな女子文化論。

しぃちゃん

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