自己検証シリーズ(2)

企業の不買運動で問題は解決するのか? ジャニーズファンも問われている【自己検証シリーズ1】

2023/11/17 19:00
米倉律(日本大学法学部新聞学科教授)
圧倒的な存在感ときらめきを放っていたジャニーズタレントたち(写真:サイゾーウーマン)

 旧ジャニーズ事務所の創設者、故ジャニー喜多川氏の性加害が大きな社会問題となり、マスコミをはじめとした各業界にも変革の時が訪れている。性加害を知りながら事務所との関係を継続してきたテレビ局は、「マスメディアの沈黙」という指摘を受けてか、にわかに自己検証番組を放送。そして、サイゾーウーマンもジャニー喜多川氏の性加害行為を知りながら、暴露本をコンテンツとして消費し、氏をキャラクター化してきた事実について自己検証を行っていく。

 そこで、NHK報道局ディレクターやNHK放送文化研究所主任研究員(メディア研究部)を務め、現在はBPO(放送倫理・番組向上機構)放送倫理検証委員会委員でもある日本大学法学部新聞学科・米倉律教授に、自己検証の進め方について教えていただいた。

目次

Q1. メディアは自己検証をどう進めていけばよい?
――国、スポンサー、広告代理店など関係性の全体を総合的に検証していかざるを得ない

Q2. 総合的な問題検証で必要なのは、どんな視点?
――国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」

Q3. 検証を進める上で懸念されることは?
――性被害者325人の補償をジャニーズ事務所はちゃんとやるのか

Q4. サイゾーウーマンの自己検証はどう行えばよいか?
――ジャニーズ問題の全体の構造の中で、サイゾーウーマンもある役割を担っていた

Q5. ファン目線の媒体、サイゾーウーマンの責任とは?
――重要なことは、今の価値観でもう一回考え直してみること

Q1.テレビをはじめとしたメディアがそれぞれに、ジャニーズ問題について「自己検証」を進めていく必要を感じます。どのように進めて行けばよいでしょうか?

A.テレビの自己検証番組はまだ第一歩を踏み出した段階で、自己検証を深めていくと、当然出てくるはずの電通など広告代理店の問題にはほとんど触れていません。国、スポンサー、広告代理店、そしてメディア、ジャニーズ事務所という関係性の全体を総合的に検証していかざるを得ないと思います。そのくらい広がりと深さを持った問題だからです。

Q2.総合的な問題検証で必要なのは、どんな視点ですか?

A.今回の問題で特にクローズアップされているのは、2011年に出された国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」です。取引先の企業において人権の問題がある場合には、取引で利益を得ている企業は、“共同の責任を有する”が故に、取引先企業に対して、人権問題を解消すべく積極的にコミットしていく責任がある、ということ。これは、取引先であるが故に、当該の企業に対する圧力にもなるということです。

 ジャニーズのタレントを番組や広告に起用しないという簡単な判断は、実は諸刃の剣の部分があります。降ろしてしまえば、スポンサーにとってのリスクは消えるかもしれないけれど、ジャニーズのタレントを使わないことが進みすぎると、ジャニーズ事務所自体がまたもブラックボックス化してしまう。そうではなく、取引を維持しながら、取引先企業として責任を持って問題の解決や再発防止策について提言・指導していく必要があります。

Q3.検証を進める上で懸念されるのはどんなことですか?

A.補償請求している性被害者325人(編注:被害連絡478人)の補償をジャニーズ事務所はちゃんとやるのかということです。325人以外にも、今活躍している人たちにもいるはずですが、彼らは自分のことについては語らないですよね。 それを語らせるのはある種のセカンドレイプという問題も当然ありますので、非常に扱いが難しいですけれども、325人だけで本当にいいのかも含めて、ジャニーズ事務所の中できちんと解明されていく必要があります。

 そうした解明の過程で、マスコミや広告代理店やスポンサー企業も共同の責任を負っているというのが、国連の考え方。それがグローバルスタンダードだということを踏まえた形で検証が行われ、なおかつ継続される必要があります。

 それには、人権問題を専門とする弁護士などが入った第三者委員会方式が必要。外部の人間でなければ検証はできないと思いますし、同時にマスコミ、企業が内部でもっと真摯に検証していく、反省していくことも必要だと思います。

Q4.サイゾーウーマンは運営15年の中で、ジャニー喜多川氏の暴露本もゴシップ的に紹介し、一方で、「ジャニー喜多川」という人物を面白おかしくキャラクターのように扱ってきました。真摯な反省が必要であると共に、自己検証はどのように進めたらいいのか悩んでいます。

A.サイゾーウーマンさんもジャニーズ問題の全体の構造の中で、ある役割を担っていたわけですね。

 例えば芸能人の不倫報道について、人のプライベートの話をなぜあんなに取り上げるのかという際に、「ニュースバリュー」という視点が語られます。ニュースバリューは大きく2つから構成されていて、ひとつは世の中全体で共有されるべきこと、正義の観点から知っておかなければいけない情報だという観点。もうひとつは、それらとは別の次元のところで、「みんな知りたいでしょう」という判断です。

 不倫の話は本来、世の中全体で共有する必要性は小さく、「知りたいんでしょう」という判断で報道されていて、そういうレベルの情報が世の中にはたくさんあるわけです。

 その点、サイゾーウーマンさんがこれまで出してきた情報は、どういう情報で、どういう価値として発信してきたのかという反省がまず必要だと思います。

Q5.サイゾーウーマンはファン目線でタレントを盛り上げる記事をたくさん取り上げてきました。他メディアのような忖度や圧力からは遠いところにある一方で、また異なる責任があると感じています。

A.私が気になるのは、この問題において読者・視聴者やファンに責任はなかったのだろうか? という点です。暴露本は70年代ぐらいからずっと断続的に出ていて、「週刊文春」とは裁判にもなっていた。それを報じなかったメディア側の責任は当然あるにせよ、うわさはずっと絶えなかったわけで、いわば見て見ぬふりをしてきたという責任が読者・視聴者やファンの側にもあるのではないかと思います。いじめがクラス内であるのに、見て見ぬふりをしてきたことに少し似ているかもしれません。

 サイゾーウーマンさんが読者との間に作り上げてきた情報空間において、読者が見て見ぬふりをしてきたことについて、サイゾーウーマンさんのような媒体はどう考えるのか。

 例えば、あるコーヒーチェンが好きで、飲んでいたけれども、 実はそのコーヒー豆がブラック労働や不当な搾取によって生産され ているプランテーション農園の豆だったと知った場合、 それでも消費者はそのチェーンのコーヒーを飲み続けるのかどうか 。重要なことは、 今の価値観を前提にしてもう一回考え直してみることだと思います 。

 これは、ある種のSDGsなどの消費者運動などにおいて、国連の「人権とビジネス」と同様に、企業と消費者との関係においても問われること。人権に問題があるとわかった時に、その企業の商品を買い続けるのか? 消費し続けるのか? という意識が、今は国際的な常識として問われているわけです。

 そういう観点から、ジャニーズをファンとして支えてきた人たちは、いろんな意味での責任が少なくともあったわけで、これをきっかけにどう考えるのかが重要です。実は、そこにこそサイゾーウーマンさんのようなメディアの今やるべきことがあるんじゃないかと思います。

 ファンの中には、契約を打ち切った企業の不買運動をする人たちもいると聞きます。では、それで問題が解決するのか? ファンも問われているし、サイゾーウーマンさんも問われている。そして、考えるための材料や視点が今は広がっているので、苦しくとも、目をそらさず見つめ続け、考え続けることが大事だと思います。

米倉律(日本大学法学部新聞学科教授)

1968年愛媛県生まれ。日本大学法学部新聞学科教授。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、NHK広島放送局、報道局ディレクターを務める。2010年よりNHK放送文化研究所主任研究員(メディア研究部)、14年に日本大学法学部准教授などを経て、19年から現職。BPO(放送倫理・番組向上機構)放送倫理検証委員会委員も務める。専門は、映像ジャーナリズム論、メディア史。

米倉ゼミ公式サイト

最終更新:2023/11/17 19:00
考え続けるのしんどすぎるけど、考えないことには変わらない
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