『スター☆トゥインクルプリキュア』最終回直前!

普通の女の子が力を合わせ、自ら道を切り開く――「プリキュア」に見るシスターフッドの力

2020/01/25 19:00
加藤藍子(かとう・あいこ)

「普通の女の子」をヒーローにする意味

 プリキュアの世界観は、近年のハリウッド映画などで見られる、ジェンダーやエスニシティの多様性を重視する潮流も先取りしていた。

 戦う女性を描いた海外作品といえば、『ワンダーウーマン』(17年)は記憶に新しいだろう。女性だけが住む島で育ち、戦い方も仕込まれたプリンセスが、最強の戦士として世界を平和に導くために立ち上がる。当時盛り上がりを見せていた「#MeToo」運動の気運とも呼応し、同作は称賛を浴びた。個性が異なる姉妹の絆をロマンティックに描いたディズニーの長編アニメ『アナと雪の女王』の続編も、現在進行形で興行成績を伸ばしている。

 女性は現実社会でもフィクションの世界でも、受動的な役割を負わされる傾向が依然として強い。だからこそ、こうした作品の数々は、抑圧にさらされてきた女性たちをエンパワメントする。同時に、新しい表現の可能性を広げることにも貢献している。プリキュアはそれを10年以上前から実践してきたのだ。その“果実”は、作中の描写にも如実に表れている。

 例えば『ワンダーウーマン』での女性主人公の描かれ方に関しては当時、映画『ターミネーター』などで強い女性キャラクターを生み出したことで知られるジェームス・キャメロン監督が苦言を呈し、波紋を呼んだ。英紙ガーディアンの取材に対し、「物扱いされる女性の象徴。表現として『後退』している」とコメントしたのだ。

 個人的には「後退」とまでは思わない。キャメロン氏の真意も推し量ることしかできない。ただ、美しく、愛情深く、家柄も由緒正しい完璧すぎるワンダーウーマンが、男たちの「ヒュー! すげえな!」という視線を浴びつつ奮闘する姿には、なんとも言えない居心地の悪さを感じてしまったのは確かだ。強さ自体にカタルシスは感じても、「私のヒーローだ」という確信を得られなかった。

 一方、プリキュアとして戦うのは、時に例外はあるものの、基本的には「普通」の、そして非常に「さまざまな」女の子たちだ。前述したように、初代の『ふたりはプリキュア』が「優しくてかわいいだけの女の子らしさ」を覆して、世の中を驚かせたのは2000年代初め。『フレッシュプリキュア!』(09~10年)では、悪に手を染めた敵幹部がプリキュアに転身する画期的事例が生まれたし、『スイートプリキュア♪』(11~12年)では、「優しい心があれば、女の子は誰だってプリキュアになれる」という名言もすでに飛び出していた。「いい子」じゃなくたって、何者でもなくたって、「ヒーロー」になれると示したのだ。

「違い」を尊重するプリキュアが育むもの

 さらに、プリキュアのチームの中心を担うキャラクターにも、歴史を重ねてきたからこその多様性がある。

 例えば、『スター☆トゥインクルプリキュア』の主人公である星奈ひかるは、宇宙が大好きでオタク気質。教室の中ではあまり目立たず、ひとりで絵を描いているときのほうが生き生きしているような性格だった。そんな彼女は、仲間と出会うことで一歩一歩世界を広げ、同時に自分の個性を殺すことなく、リーダーとして成長していった。集団の中で器用に同調することや、強く自己主張して周囲を統率したりすることを得意としない視聴者にとっても、共感しやすい「ヒーロー」だったと思う。

 能力や立場に上下関係をつくらず、「違い」 を尊重し合って肩を並べる――。困難な営みではあるけれども、 それは絶対に可能なのだとプリキュアたちは示し続ける。 シスターフッドを原点として引き継がれてきたその伝統は、 これからもさらに多様な「ガールズヒーロー」 を生み出していくに違いない。  

■加藤藍子(かとう・あいこ)
1984年生まれ、フリーランスの編集者・ライター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全国紙の新聞記者、 出版社などを経て独立。教育、子育て、働き方、ジェンダー、 舞台芸術など幅広いテーマで取材・随筆を行う。30歳の頃、たまたま『フレッシュプリキュア!』( テレビ朝日系)を見たことがきっかけで、 プリキュア沼の住人になる。

最終更新:2020/01/26 09:32
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