また新潮!!「男性への逆差別」に女性専用者やレディースデイを持ち出すお門違い

2019/02/08 20:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

 昨年、「新潮45」のトンデモ記事が大炎上し、休刊となった。だが新潮社内部では、果たしてこのとき受けた批判を真摯に検討したのだろうか。というのは、現在発売中の「週刊新潮」2019年2月14日号で、またもトンチンカンな寄稿を掲載しているからだ。

 <特別読物 語られざる「逆差別」に「男もつらいよ」>と題されたその記事。著者は、共同親権運動ネットワーク運営委員・宗像充氏だ。いわく、「#Me Too」運動ブームで、女性やLGBTの権利擁護は“花盛り”だが、男性は“逆差別”にさらされているという。

 <実は、男性だって「男性」ゆえの生きづらさで悩んでいる>というが、その例としては公共交通機関の「女性専用車両/席」の問題や、「レディースデー」への不満。痴漢啓発のポスターに対して「男は全員性的異常者と言われているようで怖い」という声や、高速バスで女性の隣の席だったが運転手が気を利かせたのか女性が他の席へ移動し「何だか自分が汚いもののように感じます」という男性の声を紹介している。

 また、妻から夫への「逆DV」や、女性から男性への性暴力はなかなか問題化されず、泣き寝入りしている男性も多いこと。性の悩みは「男らしさ」と直結しやすいこと。稼ぎの少ない男が自信をなくしてしまうこと。家庭ではイクメンを求められること。危険を伴う仕事や肉体労働は主に男性が担うことが常識となっていることも、男性への差別であり女性を優遇する措置であること。男性への要求が増大する社会で、男性は家庭と会社の板挟みになり、つらいのだという。

 なるほど、「男もつらい」のだろう。しかし「痴漢」をはじめとした性犯罪にかんして言えば、なぜ「痴漢」ではなく「女性専用車両」を批判するのかさっぱりわからない。宗像氏は<確かに痴漢対策で、男性をすべて排除するというのは、「男性=痴漢」と決めつけているようなものだ。女性専用車両が設置され始めてから20年ほどが経つが、痴漢減少に効果があったとの有意なデータはない。これでは、単に男性を性犯罪者と見なす偏見を強化しているだけのようにも思える。>と説く。

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 しかし現に痴漢被害は存在しており、女性専用車両は被害経験者にとって有効な施策だ。残念なことに痴漢行為をはたらく卑劣な人間は存在する。多くの男性が恐れる「痴漢冤罪」も、痴漢のせいで発生している。全ての男性が性犯罪者でないことは自明だが、ならば「被害者たる女性の問題」に矮小化せず、社会問題として性犯罪を撲滅するよう“性犯罪加害者ではない男性も”働きかけるべきだろう。痴漢は男vs女の問題ではなく、性犯罪vs社会の問題だ。

 であれば「女性ばかり権利を擁護されてずるい」とやっかむのではなく、男性も「男らしさ」の押し付けに抗い、権利を主張してはどうだろうか。「人間らしく働く権利」「家庭に回帰する権利」「育児する権利」「男らしさを拒絶する権利」「専業主夫になる権利」「寿退社する権利」「危険な仕事を回避する権利」など、様々な権利を主張すべきだ。

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 Wezzyでは、日本社会において「女性問題」とされている妊娠・出産・育児や、子育て期の労働について、「男性の問題でもある」と繰り返し伝えてきた。たとえばワンオペ育児、つまり家庭での負担が女性に偏ってしまう問題や、女性が昇進したくともマミートラックにのせられてしまう問題など、「働く女性」につきまとう困難は、労働現場において「男性的な働き方」を要請されるがために発生している。

 では「男性的な働き方」とは何か。会社に滅私奉公し、出世を目指し、残業し、家族を養うべく働く……まさに「男はつらいよ」だろう。けれどそのような働き方自体、多くの男性のワークライフバランスを損ない、家庭生活を犠牲にさせ、自由を奪っている。会社に雑に扱われている男性たちはもっと怒っていい。もちろん、家庭で「もっと家のことにコミットしてほしい」と訴える妻に「俺だってつらいんだ」などと応酬するのではなく、会社にだ。

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 セクハラやパワハラについても同様だ。セクハラ回避のために女性を飲み会から排除することが「ハラミ会」というワードで話題になったが、では男性同士であれば下ネタもセクハラもありなのか。女性部下にはセクハラを気にして丁重に扱うが、男性部下であれば雑に扱っていいのか。相手の尊厳を傷つけるような無礼な行為は、男女の別なく、あってはならないだろう。

 記事であげられた事例で唯一もっともだと納得したのは、2016年9月、民進党代表選の候補者討論会で、玉木雄一郎議員が涙ながらに訴えた一幕の後、蓮舫議員が「男なら泣くな!」と注意し会場から笑いが漏れた……という件を男性差別だと糾弾している箇所だ。「男らしさ=強さ」を押し付け、その枠組みから外れた男性を嘲笑することは、あってはならない。

 美容意識の高い男性も、性行為に貪欲でない男性も、女性への興味を持たない男性も、泣き虫の男性も、ピンクを好きな男性も、食の細い男性も、料理上手な男性も、スイーツが好きな男性も、キャラもの好きな男性も、決して恥ずかしいことではない。「気遣いができる」「過ちを認めて素直に謝罪できる」などの要素は“男らしくない”と忌避する人もいるかもしれないが、とんでもない、美徳だろう。「男はかくあるべし」などという規範は、「女性らしさ」の規範同様、廃れていい。

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 一方で、多くの医大入試において、男性受験者が下駄をはかされていた事例をはじめ、男女の賃金格差など、社会構造的に「男が女よりも上位である」と見なされてきたことは事実だ。「男性差別」を撤廃するなら、やはり「女性問題」とされてきた事柄を、男性も含めた「社会問題」として捉え、男性優位を前提として築かれてきたこの社会の制度改正を訴えていく必要がある。

 繰り返すが、これは男vs女の話ではない。人間を雑に扱い、個人の権利を尊重しない、日本の社会構造の問題だ。

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最終更新:2019/02/08 20:00
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