カルチャー
[官能小説レビュー]

処女を捧げた男への憎悪の物語――『マサヒコを思い出せない』が教える、女の試練の乗り越え方

2016/06/06 19:00
『マサヒコを思い出せない』(幻冬舎)

 些細な間違いによって人生が狂い始め、気がつくととんでもないところに堕ちていることがある。

 例えば、幼い頃に机にかじりついて、ファッションや男子に興味を示さ なかったクラスメイトの女子が、十数年後の同窓会で一流企業に勤める管理職になっていたとする。先行きの見えない自由業の身である筆者にとって、それは嫉妬の対象となるだろう。「なぜあの時、私は男の視線ばかりを気にして、ちっとも勉強をしなかったのだろう」と、その日暮らしの自分を振り返り、当時の自分を恥じるかもしれない。

 今回ご紹介する『マサヒコを思い出せない』(幻冬舎)に収録されている6編の作品は、淡々と綴られてはいるが、無言で叫び続ける“苦しむ女たち”を描いた物語だ。6作品の中には、常に「マサヒコ」という男が登場する。ふわふわの髪に美しい容姿を持ち、女をモノ扱いする、身勝手で自惚れ屋の男。主人公である女性たちは、さまざまな形でマサヒコと出会い、セックスし、彼を捨てることで次のステップへと進む。

 彼女たちのマサヒコとの出会い方は、それぞれ異なっている。「マサヒコを忘れてない」の主人公である智巳は、転職を繰り返してなかなか定職に就かない男と結婚。ある日、その夫に連れられて見知らぬ男と会い、アダルトビデオ出演の勧誘をされる。怖くなった智巳は夫の目を盗んで新幹線に飛び乗り、車中でマサヒコと出会う。

 また「マサヒコは手に入らない」の主人公・愛美は、いかがわしい仕事をしている夫と暮らしている36歳の看護師である。マサヒコは、「夫が毎日のように自宅に連れてきては、ともに別室で何かの作業をしている人物」として、彼女の前に現れた。

 中でも「マサヒコに踏みにじられる」の翠の出会いは壮絶なものだった。

 中学時代は冴えないルックスだった翠は、いわゆる「高校デビュー」をし、学校一美しいしのぶと交流し、学校内のヒエラルキーのトップへとのし上がった。16歳の夏、団地が立ち並ぶ風景をぼんやり眺めながら、無理やりマサヒコに挿入された翠。感情任せに、処女を捧げてしまったという屈辱的な体験から、次にセックスをする相手とは結婚しようと誓った。それから、翠は一度も男とセックスをしたことがなく、誘ってくる相手には、スタンガンをちらつかせて自衛する日々を過ごしている。

 そんな翠にも、本気で好きだった相手がいた。 しのぶに連れられて行ったカフェ「フリオ」でバイトチーフとして働く先輩・カズだ。ところが、翠は店のアルバイトに応募し、晴れて採用されるものの、カズには見向きもされなかった。

 その後、翠は読者モデルとなり、金持ちの男から求婚されてダイヤの指輪をプレゼントされ、ひけらかすように薬指にはめて「フリオ」に出向いたが、彼女のことを覚えている人は誰もいなかった。その代わりに、彼女のことを覚えていたのは、あの忌々しい処女喪失の相手であるマサヒコだった――。

 「こうなりたい」と夢見てきた将来像と現在の自分を比較すると、あまりにも違いすぎて情けなくなることがある。例えば翠が「あの日、自棄になって彼に処女を捧げなければ」と後悔するように、「○○しなければ」と思ったことがある人は多いはずだ。翠が16歳の処女喪失という失敗にこだわり続け、今の翠を形成させてしまったのと同じように、過去に縛られて生きる人もいるだろう。

本作の主人公たちの人生において、最大の間違いの象徴が「マサヒコ」なのだ。しかし、彼女たちはそんな「マサヒコ」を捨てることで、次の自分へと飛躍している。この作品はそんな「マサヒコ」を通して、読者それぞれが抱えている「最大の失敗」に向き合えと訴えかける。そして、これから先の人生を歩む強いヒントを与えてくれる1冊だ 。
(いしいのりえ)

最終更新:2016/06/06 19:00
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