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 前回は、東村アキコの漫画『ヒモザイル』に関して、ヒモ男性を肯定する要素があった。金なし仕事なしモテないダサい、けど夢はある男性に対して、「夢を叶えるためには正攻法以外にも手段はある」というメッセージが込められていたからより炎上したと述べました。

■泥臭いフェミニズム・メンズスタディーズとしての東村アキコ漫画 前編 〜誰が殺したヒモザイル〜
http://mess-y.com/archives/26341

 それでは、金なし仕事なしモテないダサい、けど夢はある男性が、「夢を叶えるためには正攻法以外にも手段はある」という理念のもと、高給取り女性の好む容姿と性格で家事労働を負担する主夫となり、傍らで夢を追いかけることの、どこが読者の逆鱗にふれたのか、もう少し詳しく論じていきます。

◎女性の自立を妨げてきた「専業主婦の呪い」が反転している

 この件に関して、「無理矢理男女をマッチングするなんて、絶対うまくいかない」という批判は、少し的外れです。たとえ、出会いに誰かの強引な介入があったとしても、それとは関係なく当人たちの気が合ったり、好みが合ったり、利害が合ったりして婚姻に至ることはあります。反対に、当人たちが相思相愛だと信じている恋愛や婚姻関係だって、破綻することはままあるからです。

 私は、『ヒモザイル』炎上の核心にあったのは、次の懸念に尽きると考えています。

<ヒモザイルたちが専業主夫業の傍ら夢を追いかけ叶った時、経済的に自立した元ヒモザイル男性に、女性は捨てられるのではないか?>

 つまり、ヒモザイル男性の抱く「夢」こそが、専業主夫と働く女性の結婚の継続にあたる障害になり得るもの、と捉えられたのです。高給取りの女性にとって、専業主夫男性の「夢」がリスクになり得るということです。

 夢を叶えたヒモザイル男性が、『マイ・フェア・レディ』原作の『ピグマリオン』の主人公女性のように、自立して去ってしまう可能性は大いにありますよね。

「配偶者が夢を叶え経済的に自立したら、家事をやらなくなるのではないか?」
「配偶者が夢を叶え経済的に自立したら、子育てをやらなくなるのではないか?」
「配偶者が夢を叶え経済的に自立したら、自分を捨てて家から出て行くのではないか?」

 それは、長い間女性の自立を妨げてきた呪いにほかなりません。

 学問や仕事の機会、賃金の不平等といった社会的な差別や、「三歳児神話」や「過剰な母乳信仰」のような個人の精神の自由を否定する言説によって、女性が学問を修めること・働くこと・自立することなどは妨げられてきましたし、今も、それらの障害は完全に消えていません。

 フェミニズムやウーマン・リヴは、長く、この性別によるハンディを解消すべく、女性の権利を向上させるために戦ってきた運動です。「配偶者の夢が叶うことが婚姻継続のリスクになる」というような理屈によって、権利や自由を奪われてはいけないのは、女性であろうと男性であろうと同じです。専業主婦であろうが、専業主夫であろうが、「収入のない(少ない)方だけが相手の利益のために尽くす」ということ自体が間違いなのです。

「配偶者の夢が叶うことが婚姻継続のリスクになる」

 このことは、「専業主夫+働く女性」「専業主婦+働く男性」という夫婦モデルにおいては、「収入がない(または少ない)方が家事を負担する」、「収入がある(または多い)方が、より良い思いをすべきである(権力が強い)」という構造が成立することが多いという事実を浮き彫りにします。

 『ヒモザイル』は、ミサンドリーとミソジニーとメンズリヴが同居したメンズスタディーズの物語であり、『ヒモザイル』を批判するジェンダースタディーズ的見解の陰には、以前は「ミソジニー」として女性の自立を妨げていたものが反転し、「男性が自立するために結婚を利用するのは許せない」「ヒモは許せない」という思いがあったことは忘れてはなりません。

 また、『ヒモザイル』の炎上からは、「売れないヒモミュージシャンは、売れっ子になれば糟糠の妻を捨て売れっ子の女優やタレントに乗り換える」という、今なお火が消える気配がないゲスの極み乙女。&ベッキー不倫事件にも似た匂いを嗅ぎ取れます。「(お金と時間を)尽くした女(妻)が不利益を被るなんて許せない」わけです。『ヒモザイル』の炎上は、これらの複雑な利害関係をあぶり出したのです。

◎内面化した差別意識から逃げない『タラレバ娘』

 さて、「とにかく女が損をしないようにする」というのは、一見、とてもフェミニズムっぽい言葉ですが、勘違いしてはいけません。

 「女性や様々なマイノリティーが、マイノリティーであるという理由によって、差別や不利益を被らないようにする」ということが、フェミニズムであり、ジェンダースタディーズなのです。マイノリティーの権利向上は、マイノリティーの特権化でも、マジョリティーの権利侵害でもないのです。

 「誰かが損をしたり不利益を被るかもしれないから、○○という権利は制限しよう」というのは、ざっくり言えば公共の福祉の概念ですが、こうした公共の福祉的監視がジェンダースタディーズと結びつくことを、私はとても危惧しています。

 なぜなら、「大勢の人が不愉快な思いをする」とか、「道徳に反している」と言う理由で権利を制限されることこそ、マイノリティー差別の歴史に他ならないからです。

 私が、『ヒモザイル』や『東京タラレバ娘』といった東村アキコ氏の漫画を、メンズスタディーズ、フェミニズムのひとつだと考える理由は、これらの作品に、「正攻法じゃなくても、とにかく、思ったまま突き進んじゃえ!」という、フェミニズムという名前の出来る前のフェミニズム、あるいは、1990年代後半に輸入されたクィアスタディーズや、安野モヨコの『ハッピーマニア』のような、自由を求めるエネルギーを感じるからです。

 『東京タラレバ娘』の主人公で脚本家の鎌田倫子と、その友人でネイリストのかおり、実家の居酒屋で働く小雪は、「2020年の東京オリンピックまでには結婚したい」という原動力によって、「明らかに価値観が合わない相手との恋愛」や「元カノ兼セフレ」「不倫」といった、目的が結婚であれば、明らかに方向性を間違えていたり、現実逃避であったり、ハードルが高かったりする恋愛に向かって、猪突猛進に進んでいきます。彼女たちは、自分が進んでいる方向が明かにベストではないと気付きつつも、「わかっちゃいるけどやめられない」「わかっちゃいるけど止まれない」とばかりにもがき続けるのです。

 確かに、『東京タラレバ娘』の世界観は、「行き遅れ女の井戸端会議」「30代は自分で立ち上がれ もう女の子じゃないんだよ」とか、「女は結婚すればセコンドにまわって 旦那さんや子供をサポートしながら生きていく」といったエイジズムやルッキズムや女性蔑視に満ちています。主人公たちは、そうした差別を突きつけられる度に傷つき、怒りつつも、そうした差別的な視線と無関係になれず、それどころか、「あの女より顔もスタイルもマシ」「もう33歳だけど40オーバーの独身女よりは全然マシ」と差別を内面化してすらいます。

 「でも いくら「マシ」を数えたって 私の人生全然幸せじゃない」主人公の倫子は、人を年齢や性別や容姿で比べることと、自分自身の幸せが無関係であることをわかっていながら、若くて才能があって、向こう見ずで図々しい女性に引け目を感じます。

 エイジズムやルッキズムや女性蔑視といった差別を否定しつつも、どこか若さや美しさに引け目を感じてしまう。差別を否定しようとする人間の抱える矛盾を描くことは、「自分の抱える差別意識をなかったことせず向き合うこと」の描写でもあり、『東京タラレバ娘』は、こうした、人間が抱える矛盾を描くバランスがとても上手いのです。

 それは、「清廉潔白な反差別思想」「曇りなきフェミニズム」のような完璧で高尚なものではなく、泥臭く垢抜けないものなのかもしれませんが、差別を否定しつつも、どこかで差別を内面化している人間が、それでも、差別とは別の価値の発見、「自分の幸せ」を見つけるために奔走する『東京タラレバ娘』は、多くの読者に、極めてフェミニズム的な思索と感動をもたらす物語であると思うのです。

 そして、『東京タラレバ娘』におけるジェンダースタディーズ的バランス感覚の良さ、ミソジニーを孕みながらも力強いフェミニズムの物語になっているさじ加減は、「主人公にとって嫌な女を憎まない・貶めない」ことにもあります。

 鎌田倫子からWEBドラマの脚本の仕事を枕営業によって奪った元グラドルの美人脚本家も、脚本家として才能があり良い仕事をする人物でしたし、倫子から偶然脚本の仕事を奪い、あまつさえ「(仕事を辞めたら)ココ(事務所)そのまま貸してください!」「そしたら私 敷金礼金引っ越し代ナシで 事務所で仕事ができる!」という図々しいことを言う倫子のアシスタントのマミちゃんも、バイタリティと才能のある脚本家です。「不当なこと」や「ズルい」と言われることをする女性とその人物が持つ才能を、無関係なものとして描いているのです。

 「不当さ」や「ズルさ」よりも「才能」が勝つ、言い換えれば、「誠実さ」や「人間性」ではなく、「その作品が面白いか否か?」が判断基準となる世界、それは、創作においては極めてフェアな世界です。

 もう一つ、東村アキコ的なフェミニズムの特徴は、「損をしたくない・不利益を被りたくない」ではなく、「得をしたい・やらない後悔よりやって後悔した方がいい」という理念が貫かれていることにあります。それは、「即物的である」とか「功利主義である」といった批判も十分に受けそうなものではありますが、東村アキコ漫画には、「とにかく思ったまま突き進みたい」「どうにかして自己実現したい」といった、勢いとエネルギーと、自由さとポピュラリティがあります。

 泥臭く清廉潔白とは言えない東村アキコのフェミニズム・メンズスタディーズには、そうであるがゆえに描けるリアリティと、自己実現・自己肯定に向けたエネルギーや自由さがあり、だからこそ批判を浴びる以上に多くの人を虜にするのではないでしょうか。

柴田英里
現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。@erishibata

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