老いゆく親と、どう向き合う?

90歳直前で亡くなった父……ピンピンコロリの大往生でも、喪失感に襲われたワケ

2023/04/09 18:00
坂口鈴香(ライター)
90歳直前で亡くなった父……ピンピンコロリの大往生でも、喪失感に襲われたワケ
写真ACより

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 ピンピンコロリを願っても、そんな死に方ができるのは数パーセントの幸運な人だけだ、とこれまで書いてきたが、それができたとして、果たして本当に幸運なのか。家族にとっては、親との別れを覚悟する時間があることもまた幸せだと言えるのではないだろうか。

元気だった父との急な別れ

 「胸に穴が空いたよう」という比喩はよく使われるが、宮坂志満さん(仮名・60)はまさに自分がその状態だと感じている。文字通り、体の中心部に大きな穴がぽっかり開いて、そこを強風がビュービュー吹き抜けていくようだ。

 宮坂さんは、2週間前に父親を亡くした。90歳になる直前だった。母はすでに亡く、十三回忌も済ませたところだった。母が亡くなったときは、長く患っていたこともあり、肩の荷が下りたという思いこそあれ、これほどの喪失感に襲われることはなかったという。

「90歳近くまで長生きしてくれて、本来なら大往生で悔いはないと満足すべきなのでしょうが、あまりに別れが急すぎて、心の準備ができていませんでした」

 父はがんの手術歴はあったが、それも5年以上前のことだ。頭もしっかりしていて、大好きな囲碁を打ちに週の半分は近くの公民館に、自分で車を運転して出かけていた。

「腰が痛むので100メートルほどの距離でも歩けないといって、近くの公民館でも車を運転していくんです。事故を起こさないか心配で、90歳になったら電動のシルバーカートを買って、運転を辞めてもらうように説得するつもりでした。カタログも取り寄せていて、どのタイミングで言いだそうかと考えていたところだったんです」

 「年を取ると、酒くらいしか楽しみがない」と、毎晩の晩酌も欠かさなかった。朝早く起きる父は、自分の朝食を作るついでに、宮坂さんの分も作ってくれていたし、掃除や洗濯も自分でできていた。もちろん、介護保険は使ったことがない。昼食や夕食の支度は、隣に住む宮坂さんがしていたが、好き嫌いもなく食欲も旺盛だった。

「もうすぐ90歳になろうとする人とは思えないくらい、矍鑠(かくしゃく)としていました。ただここのところ、時々『胃が痛む』とは言っていました。胃の手術をしたときの担当医から頓服の胃薬をもらっていて、それを飲めば治まっていたので、胃の不調もそう重く受け止めていなかったんです」

晩酌の途中で体調が急変

 その日も父はいつもと変わらず、昼食後囲碁を打ちに出かけ、夕方には焼酎のお湯割りを飲んでいた。酒の肴は鯖の西京漬け焼き。宮坂さんが用意していたものだ。こうして毎晩のように青魚を食べているので、栄養状態も抜群に良いと、主治医から太鼓判を押されていたくらいだった。

 宮坂さんが午後6時頃、庭に出ると、父の家の居間の電気が消えていた。飲むといつも6時半くらいには寝てしまう父だが、さすがに早い。具合でも悪いのかと思い、父のところに行ってみると、コップには並々と焼酎が注がれたままになっている。床には、スリッパと漬物の容器が散乱していた。

「倒れたんだと思いました。飲みすぎて、足がふらついて倒れそうになることはよくあったのですが、お酒の途中で寝室に戻ろうとしたということは、急に具合が悪くなったんだろうと思い、すぐに寝室に様子を見に行きました」

 宮坂さんが父の寝室に入ると、父はベッドに倒れ込むようにして臥せっていた。布団もかけていない。「具合悪いの?」と聞くと「ウーン」としか答えない。「救急車を呼ぶ?」と聞くと、「いらない」と言うように手を振った。

 言葉が出ないことが気になった宮坂さんはすぐに隣の自宅に戻り、夫と、たまたま里帰りしていた娘に「おじいちゃんが倒れている」と告げ、様子がおかしいことを相談した。娘は医師ではないが医療職だ。娘と共に再び父のもとに向かった。

「すると今度は、ちゃんと布団をかけて、こちらを向いて寝ていたんです。娘が『どこが、どんな感じ?』と聞くと『胃が痛い』と答えました。言葉が出たし、胃痛ならいつものことなのでちょっと安心しました。娘が頓服を飲んだか聞くと『飲んだ』と答えたので、娘と話して、今晩は様子を見ていいだろうと判断したんです。明日まだ具合が悪いようなら、病院に連れて行けばいいだろうと思っていました」

 それでも父のことが気になった宮坂さんは、もう一度午後10時少し前に父の寝室を覗きに行った。ただ、寝ているところを起こすのも悪いと思い、ドアの外から異変がなさそうか室内の様子をうかがうにとどめた。大げさに騒がれるのが嫌いな父を配慮したつもりだった。

 寝室は静かだった。異変は感じず、寝ていると思った宮坂さんは自宅に戻った。その夜は、不思議なほどぐっすり眠れたという。

続きは4月23日公開

坂口鈴香(ライター)

坂口鈴香(ライター)

終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

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最終更新:2023/04/09 18:00
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