パワースポットの裏側

「恋愛成就」「女人守護」のパワースポット神社に知られざる落とし穴! 願い事を叶えるお守りの本当の意味

2022/07/23 17:00
上江洲規子(かみえしゅう・のりこ)

――女性メディアですっかり定番となった「パワースポット」について、歴史や神話、民俗学に詳しく、書籍も数多く手掛ける上江洲規子氏が知られざる一面を明かす!

 近年のパワースポットブームで、神社は特に注目されている。とりわけ女性に人気なのはやはり、女性の守護に霊験あらたかな神社だろう。しかし、「女人守護」という耳当たりの良い言葉に惹かれて、気安く願い事をしても良いものだろうか。もしかしたら、大きな落とし穴が口を開いているかもしれない。

出雲大社が「縁結び神社」なのはムリなこじつけ?

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Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons

 そもそも、神社の霊験とはどのように定められたものなのだろう。実は、その根拠は曖昧なものも多い。

 出雲大社は御祭神の大国主命が多くの女性から愛されたことや、神無月に日本中の神々が出雲に集まって縁結びの相談をするという俗説から、縁結びの神社とされている。しかし、吉田兼好は『徒然草』第二百二段に「十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。もと文も見えず。但し、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。この月、万の神達、太神宮にあつまり給ふなどいふ説あれども、その本説なし」と書いている。

 太神宮とは伊勢神宮のこと。つまり、神無月に万の神々が集まるのは伊勢神宮だというのだ。さらに「その本説なし」、信じるに足る根拠がないとも言っている。古来出雲地方には、旧暦10月に神々が集まるという信仰はあったようだが、日本全国から、また縁結びの相談をするためであるとする典拠はない。

 天満宮が学問の神様なのは、祭神の菅原道真公が当代きっての秀才だからだが、そもそも全国に天満宮が建立されたきっかけは、彼が雷神となって宮中に祟りをなしたからだ。

 天満宮は本来、祟り鎮めの神社だったとされる。神社の霊験は、本来的な意味を外れたこじつけもあるのだ。

京都の「女人守護」で有名な神社は……

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今紫, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 京都に本社を置く、とあるゲームメーカーの旧社屋が高級ホテルとして生まれ変わったとこの春ニュースで報じられたとき、京都の事情に詳しい人々は戸惑いを隠さなかった。なぜなら、この建物は「五条楽園」と呼ばれた土地にあるからだ。

 五条楽園は江戸時代後期から大規模な遊廓として栄え、少なからぬ遊女たちがこの地に沈んだ。遊郭には用心棒が必要で、彼らが遊ぶ花札を製造するメーカーが、この地に生まれたのも偶然ではない。

 京都で女人守護の社として有名な神社も、五条楽園の中にある。つまり、この神社が守護した女人とは、遊女たちであったと考えるのが自然だろう。

 民俗学者の柳田国男や折口信夫らは、日本における遊女の発端は、神女に近いものだったと指摘する。たとえば「日本書紀」きっての女傑でもある神功皇后が海外から凱旋した際、摂津の住吉大社に田植女(※編注:田植えをする女性)を召した。彼女たちはのちに遊女になったとされるため、現代の住吉大社御田植祭でも、芸妓たちが重要な役割を担う。

 歴史学者の網野善彦氏は、遊女らは多少とも聖性を持つ集団であったと思わなくてはならないが、14世紀を境に女性の社会的地位が低下して、遊女が蔑視されるようになったとする。さらに江戸時代になると、遊廓に囲い込まれた花街は「悪所」と呼ばれるようになっていく。

 それでもなお、太夫などのごく一握りの花形遊女たちは美貌と教養を兼ね備えた高嶺の花で、丁重に扱われ、彼女たちと遊ぶためには大散財せねばならなかった。しかし、多くは身分の低い遊女たちだ。ヘトヘトになるまで客をとり、果てには性病にかかったり、望まぬ妊娠をしたりして、短い命を散らすこともあった。

 遊女たちが苦界から抜け出したくても、年季が明けるか、お金持ちに身請けされるのでなければ、身動きがとれない。ほとんどの遊女が親に売られている。借金が足かせとなっているのだ。身請けは遊女の同意が建前だが、実際は強要されての身請けもあったようだ。

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