私は元闇金おばさん

私は元闇金おばさん……葬儀屋の娘が『ナニワ金融道』の世界へ、「君ならやっていけそうだ」と即採用されたワケ

2022/06/11 16:00
るり子(ライター)

実家が葬儀屋でいじめの標的に

 今回は初回なので、本題に入る前に自己紹介を兼ねて、私の生い立ちからお話ししたいと思います。

 昭和45年、葬儀屋を営む家に生まれた私は、子どもの頃から、家の仕事のことで差別的に扱われることが多く、あまり友達のいない学生生活を送っていました。

「るり子の家に行くと、おばけに憑りつかれる」

 小中学生の頃には、このようなうわさを立てられ忌み嫌われ、家に友達が来るようなことはなかったです。心霊写真のブームが起こった時には、特に激しくイジメられ、私自身がおばけ扱いされるようになりました。そのため、集合写真に写るのが嫌で、遠足や修学旅行の時には仮病を使って休んでいたので、楽しい思い出はありません。

 学校内でも、多くのイジメを経験しています。買ってもらったばかりの靴を入れた下駄箱に絵の具を撒かれて台無しにされたり、通学カバンの中に大量のカマキリを入れられたこともあれば、大きなイボガエルのペアを机の中に入れられたこともありました。

 ごく少数ながらかばって助けてくれる級友もいましたが、当時流行していた『ビー・バップ・ハイスクール』(講談社)に影響されたイジメっ子たちにそんな声は届くはずもなく、卒業までのあいだコンスタントにイジメられていたのです。男子に強く背中を叩かれて前のめりに転倒した結果、額を切って大流血したときには、「違う仕事をしてくれ」と泣きながら両親に懇願して、困らせたこともありました。

「きちんと葬ってあげないと、みんな天国に行けないんだ。お前に意地悪する人たちも、死んだときにはウチを頼って頭を下げにくるから、いまは我慢しよう」

 実際、イジメっ子軍団の一員であった男子生徒の母親が若くして急逝されたときには、家族総出でお礼に来てくれました。それ以降、その子からイジメられることはなくなり、初めて父の言葉が理解できたのです。そしてこの言葉は、闇金で働いていた時に、何度も思い出すことになります。

 その後、地元から離れた町にある私立の定時制高校に入学したことで、ようやくイジメから解放された私は、卒業するまで父の手伝いをしながら学生生活を終えました。その父が、腰を悪くして葬儀屋を廃業することになり、就職先を探すことになったのです。

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