[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

『エクストリーム・ジョブ』を韓国コメディ映画部門の歴代1位に押し上げた、韓国の国民食“チキン”

2022/01/14 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

『エクストリーム・ジョブ』不景気が拍車をかけた、チキン屋への転身

 81年、こうした流れを象徴する事件が起きた。フライドチキンが電気焼きトンダクを抑えて人気を得ていくなか、アメリカ発の世界的なチェーン「ケンタッキーフライドチキン」を勝手にそのまま商品名にしていた業者が捕まったのだ。この事件のおかげで本家の「KFC」は韓国における需要の高さに気づき、3年後の84年、ついに韓国に上陸するに至った。KFCは瞬く間に韓国のトンダク市場を席巻し、トンダク文化自体をも変えていく。それまで丸ごと1羽を売るのが当たり前だったのが、部位別に切り分け、ばら売りもするなどトンダクの概念をひっくり返し、「トンダク」でも「(フライド)チキン」でも通じるようになった。

 KFCの独占に対し、韓国のトンダク業者たちも黙ってはいなかった。差別化を図って、トンダクに甘辛いソースを絡めた「ヤンニョムトンダク」を生み出したのである。以来、ヤンニョムトンダクはKFCの独走を抑え、韓国における鶏肉料理の「王座」に君臨し続けている。一方80年代は、先述した「トンダク+生ビール」のホップ屋が本格的に始まった時代でもあった。さらに、日本の焼き鳥のようなつまみとビールを専門にするチェーン店も現れるなど、トンダクの多様化が見られていく。これらの店は栄養センターとは違って酒類をメインにしているため、オフィス街や大学周辺を中心に広まり、若者の人気を獲得した。ニワトリのキャラクターがビールジョッキを持つイラストをロゴにした会社もあり、トンダク+ビールの認識もすっかり韓国社会に根を下ろした。

 思い返すと90年代は、ヤンニョムトンダクチェーンの戦国時代だったといえるだろう。韓国にはひとつのビジネスが当たると、誰もが我先にと同じ種類の店を一斉に始めるという悪い習性があるが、芸能人がヤンニョムトンダクチェーンの運営に転じるなど自営業者も数えきれないほど増え、そこら中にトンダク屋が立ち並ぶ事態となった。その背景には、97年に起こったIMF金融危機による失業者の大量発生がある。彼らの多くが「少ない資金」で始められる「大人気」のヤンニョムトンダクに殺到したというわけだ。

 だが、ここまでトンダク屋が増えてしまうと、そのぶん競争相手も多く、退職金をつぎ込んだものの失敗して一家で無理心中に及ぶといった事件も絶えなかった。もちろんこれはこの時代に限ったものではない。フライドチキン熱風が吹いた80年代には、借金して始めたトンダク屋の失敗で両親が夜逃げ、家に一人残された小学生の女の子が、借金取りの恐怖から飛び降り自殺をしたという痛ましい事件も起きている。トンダクは生死を分ける大ばくちともなり得たのである。

 2000年代に入るとヤンニョムのソースも多様化し、「チメック」がトンダクの代表的な食べ方として時代のアイコンとなっていく。02年の日韓ワールドカップでは、ビール片手にヤンニョムトンダクを食べながら応援するスタイルが定着し、「チメック」流行の決定打となった。その後は、プロ野球やプロサッカーのKリーグの観戦にはチメックが欠かせなくなり、野球場・サッカー場を取り囲む広告がヤンニョムトンダクで埋め尽くされていることからも、スポーツ観戦とチメックの相性の良さがわかるだろう。

 「チメック」が韓国国外で知られるようになったのは、中国で大ヒットしたドラマ『星から来たあなた』(13)で主演女優のチョン・ジヒョンが「チメック」と言ったことがきっかけだったが、直近では、オーストラリアを訪問した文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、晩餐会の席で同国の要人に「Do you know “チメック”?」と尋ねたというニュースまで報じられた。

 牛肉の代替として戦略的に推し進められた鶏肉食は、次々と進化を遂げ、もはや世界に羽ばたいていこうとしている。日本にも韓国のトンダク屋が明らかに増えてきた。日本に住んで20年以上になるが、こんなふうに日本でも気軽にトンダクを味わうことができる日が来るとは感激だ。筆者もまた、一番好きなのは牛でも豚でもなく、鶏肉だから。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。 

最終更新:2022/11/01 15:00
エクストリーム・ジョブ
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