[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

ベトナム戦争の虐殺被害者の証言と市民同士の連帯を映した、韓国ドキュメンタリー映画『記憶の戦争』

2021/11/19 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『記憶の戦争』

(C)2018 Whale Film

 韓国ではかつて、高校・大学のカリキュラムに「教練」と呼ばれる軍事訓練の授業が存在した。授業では、男子生徒は銃剣術や行軍のような基本的な戦闘訓練、女子生徒は負傷者治療を想定した包帯法や担架搬送といった看護訓練を受けた。男子はさらに大学に入ると、軍隊で1週間の兵営生活体験も義務付けられていた。

 こうした教育は、北朝鮮の侵攻に備え、必要になれば高校生までをも戦争に動員するために朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権が1969年から始めたものだ。反共の方針のもと国全体を「軍隊化」し、命令と服従で動く軍隊のような統制社会を作ろうとした、いかにも独裁者らしい教育政策といえる。

 この教練は、87年の民主化闘争を経て大学生たちの猛反発を受け、88年を最後に大学ではなくなった。私はまさにその最後の年に大学に入り、運悪く1週間の兵営生活を送る羽目になった。高校では、軍事訓練から次第に防災・衛生教育に移行したものの、2011年には完全に廃止され、教練は学校からその姿を消した。

 だが私にとって、ほふく前進や兵営生活以上に記憶に残っているのは、高校時代の1人の教員である。当時、教練担当の教員の多くは退役軍人であり、彼もその一人だった。そして唯一彼だけは「オレはベトナム戦争の『参戦勇士』だ」と授業でいつも自慢げに「武勇伝」を繰り返していた。

 そして、韓国軍は「敵兵を1人殺すたびに米軍からドルをもらった」のだが、何人殺したかを証明するために「相手の性器を切り取り、袋に集めて米軍に見せた」という衝撃的な内容を、高校生相手に事もなげに語ったのだった。人間の命をただのドル稼ぎの手段としてしか考えない人間、さらに何のためらいもなく死者の体を棄損する人間が、教員として自分の前に立っていることが、ただ恐ろしかった。これが、私が初めて知った生々しいベトナム戦争である。

 思い返せば、当時学校で習ったベトナム戦争は、「ベトナムを共産化から救うための正義の戦争」「韓国の経済発展に大きく貢献した戦争」という類いの、参戦を正当化するものがほとんどだった。例えば、勲章をつけたベトナムからの帰還兵を村中が歓迎し宴会を開くという内容の歌謡曲「월남에서 돌아온 김상사(ベトナムから帰ってきたキム上士)」は、「正当な参戦」という認識が、韓国では広く一般的であることを端的に物語っているといえるだろう。

 69年に発表され大ヒットしたこの曲は、最近もガールズバンドによってカバーされるなど、韓国国民に深く浸透している。もちろん、そこにもはやベトナム戦争の正当化という政治的な含意はないのだが、アメリカに加担する政府を批判しながらもあくまで第三者という立場にあった日本人に比べて、韓国人にとってベトナム戦争は当事者としての関わりを免れない、極めて身近な歴史だったのだ。くだんの教員が「参戦勇士」であることを堂々と自慢できたのには、こうした背景があるからだろう。

ベトナム戦争と韓国、そして1968
証言できる人が減っていくと考えると、恐ろしいな
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