『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』の執筆陣と考える(前編)

「推しの日本語がかわいい」「兵役に行かないで」“韓国好き”の人は無意識の加害者?

2021/10/04 14:00
小島かほり
gettyimagesより

 近年、ますます存在感を増している韓国カルチャー。動画ストリーミングサービスの普及によって韓国ドラマ/映画にアプローチしやすくなり、BTSの世界的人気にけん引される形でK-POPは誰もが耳にする身近なものへと変化した。コロナ禍でも韓国コスメの輸入額は増え、女性や弱者の視点から社会を鋭く切り取る韓国文学やフェミニズム関連書は、日本のフェミニズムをけん引する存在にもなっている。

 一方で、いわゆる“歴史問題”は、いまだ日韓の間に横たわったまま。韓国芸能人が歴史や日本について言及するだけで、ネガティブな感情を引き起こされる人もいるだろう。

 7月に発売された『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』(大月書店)の執筆陣は、一橋大学で朝鮮近現代史(加藤圭木ゼミ)を学ぶ学生5人。韓国に興味がなかった人、K-POPは好きだけど歴史を知らなかった人が、歴史を学ぶことで自分の中にあった偏見や加害性を認識する過程が素直な言葉でつづられている。また、日本軍「慰安婦」、徴用工、竹島/独島の領土問題についても、前史から争点まで資料と共に整理し、歴史・政治問題ではなく人権の問題だと指摘しており、韓国との関係を学び始める入門書としても秀でている。

 そこで今回は、著者5人と共に、韓国カルチャーを愛するための心得について考えてみたい。

――いま、過去になく韓国カルチャーが身近なものになっています。日本で生まれ育った者として、韓国カルチャーを楽しむときに、個人的に気をつけていることはありますか?

熊野功英さん(以下、熊野) 自分がしてしまったから言いたいのですが、まず大前提として歴史から目を背けて文化を都合良く消費しないように、加害の歴史を学ぶこと。第2は、自分の加害性を自覚すること。歴史を学ぶと、「あんな差別的な発言をしてしまったのか」と過去の自分の言動にハッとすることがあります。失敗を認め、正すのが大事だと思います。第3は、差別構造をなくすために、ネットで声を上げたり、署名したり、デモに参加してみたりするなど、自分にできる行動をとること。第4は、歴史認識や人権意識の誤っている政治家には投票しないこと。歴史認識を誤っている=被害者に対する人権侵害を軽視している、つまり人権意識がないということだと思います。

 最近は、無自覚な加害の例として、日本のファンが韓国人アイドルの日本語発音や言い間違いを喜ぶことにも、危機感を覚えています。韓国の人にとっては日本語の「つ」は発音しにくく、「ちゅ」になってしまう場合が多い。それを無邪気に「かわいい」というのは、とても危険だと思います。そもそも外国人の発音を「かわいい」ということ自体問題に思いますが、関東大震災のときには人々に「15円50銭」と言わせ、きれいな発音ができない人は朝鮮人だとして虐殺したという歴史があるので、なおさらです(※4)。

――言葉の問題で言うと、私はK-POPアーティストが日本語詞の曲を歌い、それを日本人ファンが喜ぶという構図にも危うさを感じます。

熊野 そうですね。アイドルが日本語を話したり、日本語詞を歌ったりすることを、日本のファンが「反日じゃないんだ」と判定しているように感じることも多い。日本側から「反日」という言葉を使うときは、アイドルが「日本を好きか嫌いか」という話になってしまいがちです。「日本を好きだったらOKだけど、嫌いだったらダメ」というように、ファンが初めから自分をジャッジする立場に置いているようで、複雑な思いで見ています。あと、植民地支配の中で「皇民化」政策の一環として朝鮮語を禁じて日本語を強制したという歴史を鑑みずに、アイドルが日本語を話すのをファンが喜んでいいのかなと思うこともあります。

――日本の加害性を認めるのは難しいですが、韓国文化を愛するなら必要な姿勢ですよね。

熊野 加害性を認めることについては、韓国の芸能人の姿勢から学ぶこともできると思うんですよ。例えば、BTSは以前、女性蔑視的な歌詞の曲を歌い、ファンから抗議を受けたことがありました。でもその加害性を認め、その後は女性学の研究者に歌詞をチェックしてもらうようになりました。

 また「Spring Day」という曲は、ファンの間では、セウォル号沈没事故(※5)の被害者への追悼の意味が込められているといわれている曲。セウォル号事故は、政府による救助活動の初動や船長の対応が悪く、人的災害ともいわれています。この曲には、不正をする政府への糾弾、階級社会への反対の姿勢を示し、被害を忘れないというメッセージも含まれているように感じます。そういった姿勢は、この本でも紹介した「連累」(※6)という概念にも通じると思います。

 連累とは、自分が植民地支配などの過去の過ちを犯したわけではないから直接的な責任はないけれども、現代に生きる自分は過去のそういった過ちを風化させるプロセスには関わっていて、過去の不正義を生んだ差別構造の上に生きている。だから、現代人も過去の過ちとは無関係ではないし、過去の過ちを記憶し、その差別構造を壊す責任があるという概念です。セウォル号事故被害者に対するBTSの姿勢は、国の過ちを風化させず、過ちを生んだ政治や社会への批判が込められているという意味で、まさに連累の考え方と通じるなと感じます。

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし
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