【連載】わが子から引き離された母たち

「息子に毎日弁当を届けたい」21歳で結婚・出産した女性が、“わが子と会えない”理由

2021/06/04 16:00
西牟田靖

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第3回 久保田美樹さん(仮名・37)の話(前編)

「息子と名古屋の実家に帰って、1年間暮らしました。ところが、調停の結果、息子は夫の元へ行くことが決まり、離ればなれ。今は、息子に毎日弁当を届けられるよう、近くに引っ越そうと思っています」

 久保田美樹さん(仮名・37)は、つらい話なのに、気丈な様子で明るく言った。彼女はなぜ、息子と離ればなれになったのか? そもそもなぜ、実家へ連れ去ったのか? 前編の今回は、結婚と出産を経て、別居するまでを記す。

中2の頃、父のDVが原因で、母や妹と家を出て母子寮へ

――まずは幼少期の頃について、教えてください。どんな子どもだったんですか?

 愛知県で生まれ育ちました。トラック運転手の父は感情表現がへたな人。お酒を飲んでは、カッとなって母や私を殴りつけました。針のむしろみたいな生活。理不尽な理由で殴られたり、家の外に出されたりするんですから。

――DVを受け続けると、肉体的にも精神的にもつらいですよね。

 いま思えば、私の性格はADHD※寄りでした。片付けられないし、こだわりが強い。時間に合わせて行動するのが苦手で、小学校のとき、集団登校ができなくて。ひとり遅れて学校に行っていましたし、中学で入った部活の朝練にも遅れたりしていました。

※幼児期から見られる発達障害の一つ。年齢不相応な多動性、注意の持続困難、衝動性などが特徴。家庭や学校でじっと座っていられないなどの状態を呈する。注意欠陥多動性障害(岩波書店「広辞苑第7版」)

――DV家庭という環境が、美樹さんに与えた影響は大きかったですか?

 幼少期の家庭環境から学び取ったものが大きかったのかもしれません。実際、私はこれまでずっと生きづらさを抱えて生きてきましたから。

――家では父親に暴力を振るわれる生活が、ずっと続いたんですか?

 いいえ。母が市役所にDV相談に行っていて、中2の夏休み、父に内緒で家を出ることになりました。市役所の方のお膳立てのもと、名古屋市内の母子寮に、母と2人の妹と共に入所しました。

――急に引っ越して、いろいろと大変だったのでは?

 引っ越した先の学校のレベルが高くて授業についていくのが大変だったり、母子寮に住んでることがバレたくなくて、友達に住所を言わずに隠し続けたり。大変は大変でした。でも、それ以上に、ほっとしていました。父の暴力から逃れることができましたから。

――その後も、ずっと母子寮で?

 高2で、今の市営住宅に引っ越しました。通っていた高校は商業高校で、演劇部に所属して、演じたり、裏方をやったりして、チームで制作する面白さを知ったのです。一生懸命取り組んだあの日々は、私の青春でした。

――高校を卒業してからは?

 テレビや映像制作を学ぶ専門学校に2年間通うため、上京しました。女手ひとつで娘3人を育てる母に無理をお願いできないので、新聞奨学生になり、配達所の寮に入って、毎朝、新聞を配達しながら、専門学校に通いました。

子どもを連れて、逃げました。
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