崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

ホン・サンス作品の神髄『ハハハ』――儒教思想の強い韓国で、酒と女に弱い“ダメ男”を撮り続ける意味とは?

2021/05/28 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

等身大の“だらしない男女”を描く意味

 では、そんなダメ男たちに対峙する女たちはどうだろうか。つい男たちのだらしなさに目がいきがちだが、そんな彼らを愛し、共にお酒を飲んでそのまま肉体関係に至る女たちもまた、やっぱり“あるべき女性像”からはかけ離れているといえるだろう。

 ムンギョンに追い回されるソンオクは、詩人ジョンホのイケメンぶりと海兵隊(精鋭たちの集う最も厳しく優秀な部隊)出身というたくましさにゾッコンだが、ムンギョンが空挺部隊(海兵隊と同じレベルの特殊部隊)出身と聞くや、ムンギョンともいい関係になる。チュンシクの不倫相手ヨンジュは、同棲や結婚を迫って彼を鬱々とさせることもあれば、「私を愛してるか」「私はかわいいか」と甘えては2人でバカップルぶりを見せつける。だが彼女は最終的にチュンシクのすべてをまるで母親のように優しく包み込む(このカップルのその後は『へウォンの恋愛日記』(13)にも描かれている)。

 そしてムンギョンの母親を演じるユン・ヨジョン。評判のふぐスープ屋を営む彼女は、息子からのプレゼントが気に入らずに客にあげ、常連客と毎日のように酒席を囲む。息子が偉そうに母の服装を注意すると、逆上して人目もはばからず息子を叩いて泣かせてしまう。かつては女好きの夫に困らされ、情けない息子の姿にため息をつきつつも、人情味のある母親を、ユン・ヨジョンは飄々と演じる。男たちと一緒にダメっぷりを披露し、彼らに辟易したり振り回されたりするが、最終的にそのままの彼らを受け入れる女たちの存在は、ホン・サンス映画において、実は何よりも重要で欠かせない存在なのだ。

 ホン・サンスのキャラクターたちは、「家父長制に反対」とか「男女は平等であるべきだ」といったリベラルな思想など、誰もまったく持ち合わせていない。彼らはごく普通に儒教的伝統に基づいた韓国の価値観を持ち、女に偉そうに振る舞ったり、たくましい男に憧れたりしている。ただ決して自分自身は理想的なイメージを実践できずに、くだらないおしゃべりを交わしながら毎日をそれなりに生き続ける。ダメだからこそ魅力的な人間たちの姿が、そこには確かに刻み込まれている。

 男にも女にもあるべき姿を押し付けがちな社会と、そこにどうしても追随してしまう映画界の中で、ホン・サンスの映画はそんなしがらみを軽々とはねのけて、キャラクターたちを解放する。今回のコラムでは、韓国における“あるべき男性像”をテーマに据えたが、社会が理想とする姿になりたくてもなれないのは、男も女も変わらないだろう。ホン・サンスは、理想と現実の間でじたばたする人間たちの本音を映画の中で代弁し、世間の押しつけがましい目など「ハハハ」と笑い飛ばせ、と私たち観客にも言ってくれているように思える。「家長」の役割など存在しないホン・サンス・ワールドは、大いなる人間賛歌であり、本当の意味での理想郷なのかもしれない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2021/06/14 11:47
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ヒーロー映画ばっかりじゃつまらないもんね
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